2005-07-15

今日は飲み会。飲み会そのものは楽しかったのだけど、最近飲み会に出たあとにはなんだか良くないことが起こることが多いような気がする。今日はほとんど飲まないように心がけていたけれど、やっぱりアルコールは良くない。脳が曇る。せっかくの連休をまた何もせずに寝て過ごすことはないようにしたいけど、この状態ではどうなることやら。

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一般に「才能」と呼ばれているもののほとんどは当人の努力の積み重ねの上に成り立つものであり、その能力を細かく分解してみると同じような環境と意思さえあればその人以外の人でも身につけられる可能性はある。しかし、その能力が幼い頃からの長い長い間の習慣や積み重ねの結果身についたものであったならば、他の人間が後から一朝一夕に追いつくことは難しいし、遺伝的な要素が絡めばその傾向はさらに増す。

それでも、一定以上の時間をかけることである程度までなら能力の差をカバーすることはできる。たとえば高校生の時点で大きな差があったとしてもそこから10年の間、毎日訓練を重ねれば20代後半になるころにはそれなりに使える技能が身につくだろう。楽器を演奏する人でも一流と呼ばれるような人になると、10000時間以上をその練習に費やしているそうだ。一日3時間を10年間繰り返せばちょうど約10000時間になる。何かの技能を身につけるにはそれ相応の対価として、時間とそれなりの何かの犠牲は必要なんだろう。

しかし、実際にある技能が必要とされたときに「10年後には実用レベルになります」と言って納得してもらえるだろうか?ほとんどの場合、そのような状況ではすでに手遅れだ。じゃあ、いつの時点から手遅れになるのか?手遅れにならないためにはどうすればいいのか?

人間が生きている時間に限りがある以上、どこかの時点で今から始めてもすでに手遅れでもうモノにはならないというラインは存在する。おそらく、自分がいまから絵を描いたりギターを弾いたりすることで生計を立てられるようになる可能性は限りなく0に近いのだろうと思う。自分は幸いにも10年程度の時間を使ってなんとか給料をもらって生活できる程度にはプログラムが書けるようになった。現状、仕事として給料がもらえる最低限のレベルにはなんとか到達できたけれど、ソフトウェア技術に関してだけでもまだこれから身につけていかなくてはならないスキルはいくらでも残っている。

そもそもプログラムというのはあくまで手段であってそれそのものが目的ではなかったけれど、手段に拘泥すればするほど目的はぼやけて曖昧になる。目的は最初から最後まで同じである必要もなくていつでも差し替えのきくものだという見方もできないこともなく、それ以上になにもしなくても時間はどんどん過ぎてゆくから、こんなことをぐだぐだと考えている暇があるなら少しづつでもいいから行動に移るべきなんだろう。

まぁ、なんにしても、後からあの時期にああしておくべきだったと後悔することがないようにできるといいなぁ、と思う。

人は一年で達成できることを多く見積もりすぎ、五年で達成できることを少なく見積もりすぎる

                                   ピーター・ドラッカー