■ [開発][デザイン][プログラミング]プログラマにできないこと、プログラマにしかできないこと(その1)
- プログラマ兼ゲームデザイナはもう古い
要するにプログラマにゲームデザインをやらしておくと、連中が好きな昔のゲームを再生産するばっかりで、Doom4みたいなゲームはできるけど、Nintendogsは生まれないよね、ということらしい。
まあ主張している内容は分からんでもないが、これはプログラマだからどうこうというより、プログラマが主に属するコンピュータギークコミュニティの好みが偏っているのが問題だね、っていう内容に思える。コメントでも、次のアーティクル(http://lostgarden.com/2005/11/five-step-program-to-move-beyond-game.html)でも、anti-programmerの意図があるわけではないと言っているし。
プログラマはこれから作ろうとしているものがどのような実行結果になるのかをまず頭の中で組み立てて動かしてみて、それをプログラムという行為によってコンピュータの中に再現するというのが仕事であるために、他の職種に比べると企画・仕様の段階からどのような出来上がりになるのかを正しく見積ることができる。
その能力ゆえに、ゲームのルール設定やパラメータ調整などを行えば的確で効率よく作業を進めることができる反面、確実性を重視しすぎて柔軟な発想に乏しくなる事はあるように思う。
この話を見て、学生の頃に研修に行った会社で聞いた話を思い出した。
プランナーやディレクターは無茶を言うのが仕事だ。
だから、プログラマに企画をやらせてはいけない。なぜなら、どんなに気をつけていてもプログラマの本能のために最後の最後で必ず守りに入ってしまうからだ。
ゲームはプログラマからみて少々無茶なくらいの仕様でないと面白いものにならない、と。なんとなく納得できるようなそうでないような話だけど、特にディレクターには理不尽ではない説得力のある「無茶」をいう能力が求められるのだろう。
プログラマの本能故にアイデア出しの段階から「どう実装するか」などと考えてしまうのも事実で、しがらみにとらわれずに自由に発想すべき場面であるにもかかわらずアルゴリズム的に可能かどうかとか、メモリや処理量は現実的なのか、などとその時点で考えるべきでないところまで無意識に考えてしまうし、「これは無茶だ」と思った時点で安全に実装できそうな仕様にしようと考えてしまうこともある。
こうした思考法が発想の枠組みを狭め、その結果ボーダーラインケースに位置するような新しい発想が出にくくなってしまうこともあるのではないかな、とは思う。
ムラシュウに感想を聞くと「面白いんじゃないですか?」と目を輝かせる。
これまでの経験上、企画草案段階で評価される企画は普通の企画。
けちょんけちょんに言われるようなものの方が新しい。
「メタル」も「ボクタイ」も身内にまずぼろくそに言われた。
この企画、ダメなのかもしれない。
・・・発想の根幹が違う。こういった新しいものを作れる人とそうでない人の違いはどこにあるんだろうか?