2007-02-20

intelligenceとwisdom intelligenceとwisdom - Nao_uの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - intelligenceとwisdom - Nao_uの日記 intelligenceとwisdom - Nao_uの日記 のブックマークコメント


一人の人間が現実的な生存時間内に達成できるグラフの合計面積は限られている。無理に一人で"superwise"になろうとする必要は無い。そのためにチームや組織が存在する。

だからこそ、どうやったら"intelligent"の集合を効率よく"superwise"に近づけられるのか、ということを考えていくべきなんだろう。人間の集まりは単純な足し算にはならないだろうから。

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それに、平均的に高い成果というのは普通経験によるところが大きいけれど、すごくすばらしい成果というのはある特殊な生まれつきの性質を持った人だけが達成できる、というのも自然に聞こえる。誰でも泳ぎは上達できるけれど、オリンピックに出るためには特別な体格が必要だ。


発明や発見が仕事の人はランナーと同じ立場だ。自分の能力のベストを達成することはできない。潜在能力に限界がないからだ。自分と他人を比べればそこに一番近づける。でも自分の仕事がよければよいほど、このことは問題じゃなくなってくる。学生がなにか出版できたらスターの気分だろうけれど、その分野でトップの人は自分がうまくやっているとどうやったら判断できるんだろう? ランナーはまったく同じことをしている他のランナーと自分を少なくとも比べることができる。オリンピックで金メダルをとれば、もう少しだけ速く走れると思っていても気分はいいだろう。でも小説家はどうすればいい?


(新しいスキルを身につけるのが年をとると難しくなるのは脳に適応性がなくなってくるからだけじゃない。たぶんすっとひどい障害になるのは人が高い水準を求めるようになることだ。)


このことは特に覚えておいたほうがいい。物理学者の友人が最近話してくれたけれど、学部の半数の教員はプロザックを飲んでるそうだ。ある程度のイライラはある種の仕事に不可避だということを認めたら、その影響も緩和できるようになるかもしれない。時にはそれを箱につめて横においておけるようになるかもしれない。ただなすがままに日々の鬱屈と一緒にして、危険なくらいに大きくためこんでしまうんじゃなくてね。最低限、不満に感じること自体を不満に思わなくなれる。