2007-02-19

The Final Hours of MGS2 The Final Hours of MGS2 - Nao_uの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - The Final Hours of MGS2 - Nao_uの日記 The Final Hours of MGS2 - Nao_uの日記 のブックマークコメント

メタルギアソリッド2の製作過程の話。

件の記事を読んでいて強く感じたのは,チームのメンバー間に存在する確かな信頼と,強力な連帯感だ。特にそれは,物語の後半……つまり開発の後期へと進むにつれ,ますますその強さを増していくように思える。

日に18時間もの開発を行い,それを1週間に7日間も続ければ,誰もが自らの心身を擦り減らしてしまう。しかし松花氏は,このような「修羅場」 (crunch mode) こそがチームの絆を強固なものにする働きを持っているのだと指摘する。

「深夜になって,部下と一緒に仕事を始めると,ナチュラル・ハイな状態が始まるんです。」

苦労を共にすることによって生まれる連帯感は,人の結びつきを特に強くする働きを持っているように感じられる。一部の例外を除けば,ほとんどのゲームソフトは,その開発の過程において必ず「修羅場」を経験する。それは MGS2 チームのようなトップノッチの集団においても変わらないことであるし,むしろ,平均よりも過酷な労働をこなしていることが分かる。

もちろん,苦しむ必要の無い場面において余計に苦しむことや,理不尽なデスマーチに突入することなどは極力避けなければならないのだけれど,だからと言って,決して苦しむこと自体を恐れてはならないと,僕は思う。本当に優れた製品を作り出す集団は,必ず苦しみを味わっているからだ。

可能な限り、せめて終電では帰りたいところだけど・・・。

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こちらは対照的に全く「修羅場」を経験せずに作られた『Tony Hawk's Pro Skater』シリーズの話。

この会社は, Playstation 版 "Tony Hawk's Pro Skater" が大ヒットを収めて以来,現在に至るまで,相も変わらず Tony Hawk シリーズを出し続けている。文化の違いからか,僕にはこの Tony Hawk シリーズの魅力というものを正確に理解することはできないのだけれど("1" も "2" も "3" も "4" も同じゲームに見える!),このシリーズは着実な進化を遂げることによって欧米ゲーマーの心を掴み続けているようだ。シリーズを通して売れなかった製品は無いという恐ろしい状態を維持している。これは,国内で言うところの「三国無双」などのタイトルになぞらえてみると分かりやすいのかもしれないと思う。

件の記事によれば,その Neversoft が, Tony Hawk シリーズの "3" と "4" の開発においては,いわゆる「修羅場」 (crunch time) を全く経験することなく制作を終えることができたと主張している。

私達は,「9時-7時」の編成で月曜から木曜までの勤務をこなし,金曜は「9時-5時」の編成で勤務しました。一度だけ,1ヶ月ほどハードな時期を過ごすことがあったのですが,その間も「9時-9時」の編成でしたし,金曜は「9時-5時」を維持しました。週末に勤務することは全くありませんでした。

長時間の勤務は「成功への鍵」ではありません。それはむしろ失敗の兆しとみるべきです。1日という単位において10時間という時間は,非常に大きな時間です。この10時間を目一杯働くよう心掛けるべきです。

私達は,常に現実的な計画を立てることによって「修羅場」の発生を回避しました。それまでに行ってきたことと,そこから行わなくてはならないことの両方を常に確認するよう心掛けるわけです。もしどうしても何かが上手く行かないようだったら,それをカットするのです。

とは言っても,決してゲーム制作に対してストイックな態度を持っているわけでは無くて,単に,スケジュールに対して現実的なものの見方を保っているだけのことのように思える。

そして,これらの要素がどれだけゲームのクオリティを向上させるのかという点を考慮しつつバランスを取ります。例えば,このような感じです - 「頂点アニメーションを実装するのに Larry を6週間占有してしまうのは価値のある行為だろうか……これはカットシーンの中でしか使われないというのに。」

ゲームが出荷されるまでの間,このような全体の骨組みの調整を続けていくわけです。

しかし、そのような開発過程の結果生まれた3以降の作品は、個人的にはあまり好きにはなれなかったりする。なんというか、無難に延々と同じことをやっている感じが。以前にも少し書いたけれど、このシリーズは一作目が一番面白かったような・・・。*1

このような開発手法は前作を踏襲できる続編モノだから可能だった、という解釈もできそうかも。頂点アニメーションと一緒に、少し無理をすれば入れられた、このシリーズをさらに面白くできたはずの新要素の芽まで削られていなければいいのだけど。少なくともゼロからの試行錯誤がたくさん必要な新規タイトルでは、こういった手法を取ることは難しいように思う。

これと似た無理をしない製作過程で作られたゲームの例として、昔社販で買って遊んだゲームのなかに、一見クオリティは高そうに見えるのに、実際に遊んでみると何かしら物足りない感じで、世間の評価もあまり芳しくなかったタイトルがあった。なんというか、ゲームの作りに「無理」「無駄」「無茶」が足りない、ものすごく無難な仕様と作業負荷のみで組み上げられたような印象。

そのチームメンバーの開発レポートを読んでみると、みんなが口をそろえて「スケジュールどおりに進められたのがよかった」と書かれていたのを見て、あぁ、そんな作り方をしたらやっぱりあのようなゲームになっちゃうんだなぁ・・・、と悪い意味で納得できてしまったことがあった。

もちろん、現実的なスケジューリングは必須だし、紙の上に妄想ベースで適当に線を引いただけのラクガキには何の意味もないどころか、仮にそんなものがまかり通ってしまうような状況ではむしろ有害でしかない。それを前提として踏まえたうえの話で。


とりあえずここから先は一般論でなく個人的に考えていること、という話で。実現性の可否はさておき。

某所の「不幸自慢は何の得にもならない」という件に関して、はてブのコメントにあった「本人が意義を納得している場合はいいんですよ。健康に問題がなければ。」という意見に同意。

作業の効率化の必要性に関してはその通りだとしても、単なる不幸自慢とは少し違うと思いたいところ。かといってそれで体を壊しては元も子も無いので、まず心と体が健康であることが前提としたうえでの話で・・・、

チームの全員がなんとなく70%くらいの無難な仕事量で無理なくスケジュール通りに仕上げた場合と比べて、みんながちょっとづつ無理して120%の力で仕事し、ごく一部のコアメンバーは少々無茶であっても200%の力を出し切ることができれば、同じ期間・同じコストでありながらも、7割くらいの力で無理なくやったときと比べて2倍以上の効率で仕事が進められることになる。

無茶苦茶な仮定ではあるけれど、現実的な話としてはこれが高いクオリティを保ちつつもコストダウンを計れる唯一の方法だったりするんじゃないかな、なんて思っていたりする。

だからといって意欲の無い人に120%の仕事を押し付けることはやるべきではないしそもそも不可能だろうから、上記を実現するにはまずはみんながそのように仕事したい、そうしなければ!、と思えるような環境を作ることがまず大前提の話になる。チーム内の意識統一や意思疎通が重要になるため、意識の違う外注の人の割合が高くなってくるとうまく行きにくくなることもあるかも。

泊まりとか徹夜とか休日なしが延々と続くような環境は論外としても、それぞれの人の可能な範囲内で少しづつの負担を増やすだけでも、全体の総和でみると大きな効率増加になるに違いない。もちろん無理しすぎて体を壊すようなことは絶対に避ける、ということは最優先事項としての話で。


無理や無茶の無いところからはいいものは生まれてこない、はず。少なくとも個人的経験から、そう信じている。

毎日定時上がりで楽したい*2、なんて甘い考えではこの厳しい状況を切り抜けることなどできないだろうし、そのために何をどこまで犠牲にできるのか、というのは人によって違うとしても「少しでも面白いものにしたい」と思っているのはみんな同じに違いない。少なくとも一緒に仕事をするなら、そのような覚悟のある人とできるほうが有難い。

それって結局は根性論なんではないか?と言われてしまうと否定しにくい部分はあるけれど*3、それでも既存の開発手法を持ってきて当てはめるだけが「効率的かつ最適化された開発スタイル」を実現する手段ではないようには思う。今どき効率化を考えていないところなんて存在しないだろうし、組織のあり方や目指している場所によって、取るべきスタイルは様々だろうから。

とりあえず念頭に置くのはトライ&エラーのサイクルを短く、回数を増やして頻繁にフィードバックを行い、短い期間で次々と改善が進められるような体制作りか。

どんな御託を並べてどう作ったとしても、結局は出来上がったものがどうなるのかが一番大事なことで、あとはそのような無茶の末に上がったクオリティがごくごく少数の人の満足のためだけでなく、できるだけ多くの人の楽しみにつながるようにしていく事を心がけるべきかな、と。その結果がちゃんと売り上げに反映されなければ意味がないから・・・。

とりあえず自分自身の目の前の現実問題として考える分には、達成すべき目標に対する能力/才能の欠如に対しては作業量とか何らかの工夫とかで補っていくしかないわけで、そのやり方が破綻しないようにうまいこといろいろと折り合いをつけながらバランスを取っていくしかないんだろうなぁ、という雰囲気。合間を見て何かしらの方法でのガス抜きもやっていかないと長くは持たないだろうし。

*1:時期的なものも加味した上で、の話。

*2:もちろん毎日定時内に十分な成果が上げられるような人であれば、その限りではない。

*3:ある意味究極のアジャイル的手法、と言えなくはない?とか。そのためには、単なる「混乱した現場」ならないための工夫がいろいろ必要だけど。