2005-12-19

[][]21世紀の労働倫理を「ワンダと巨像」開発チームの中に見る 21世紀の労働倫理を「ワンダと巨像」開発チームの中に見る - Nao_uの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 21世紀の労働倫理を「ワンダと巨像」開発チームの中に見る - Nao_uの日記 21世紀の労働倫理を「ワンダと巨像」開発チームの中に見る - Nao_uの日記 のブックマークコメント

これはもちろん、ゲームや3Dグラフィックスの技術開設記事として読んで面白い内容なんだけど、それより「雇用」の問題、もっと言えば、教育とかニートのことを考える上で、関係者一同がまっさきに参照すべきものではないかと思う。(もちろん前提としてこのゲームをクリアしないといけないわけだけど)。

つまり、「雇用」は経済的な価値を生まなければ長続きしないわけで、これから「価値を生む仕事」には普遍的に、ここに書かれていることが含まれているのではないかと思う。それは次のようなことだ。


(略)

これをチームとして複数の人間が協同で行なうということは、実に大変なことではないかと私は想像する。特に、プログラマーとデザイナーは、同じゲームを作っていても、感覚やプライドが全く違うので、相手の感性に配慮するというのはとても難しいことだろう。異質な感性への思いやりを持たなければ、この協同作業は成り立たない。

そこにおいて要求される、「思いやり」とか「協調性」は、従来の規格大量生産の現場で必要とされるそれとは全く異質なものになるだろう。

ゲームの製作というのは基本的に集団作業なので、プログラマ-デザイナ間に限らず、「異質な感性への思いやり」や「相手の能力に対する尊敬」は忘れてはならないな、と。

さらに、多種多様な能力と貢献をまとめる、リーダーは、それらをひとつの世界観にまとめあげなくてはならない。その「世界観」は、振り回されるワンダの動きの微妙な揺れで簡単に壊されてしまうものだ。その「世界観」は、ワンダ以前に世の中に存在しないものであり、これまで存在したことが無いから価値があるものだ。メンバーに「正解」を提示するには、未来から感性したゲームDISKを持ってくる以外しかない。

その「正解」のイメージを、具体的なムービー無しに、リーダは1年以上の間、自分の頭の中に保持し続けて、そこに拘り続けなくてはならない。拘るために、時にはメンバーの作業を一から引っくり返した上で、士気を保ちビジョンを明確にしないといけない。

(略)

このように、こういう仕事の為の組織の一員には、これまでと全く違う精神が必要とされる。そして、これは特殊なケースではないと思う。21世紀において、経済的な価値のあるものは、技術と感性の融合を必要とする。どちらか一方だけで通じたのは、WEB2.0以前の話で、どちらか一方では、世界で一番の人や世界で一番の会社に淘汰されてしまう。ネットはすでにその障壁を取り去ってしまったのだ。

リーダーに必要な素養とその重要性・これからの個人/組織に必要なものについてもまったく同感。

『3Dゲームファンのための「ワンダと巨像」グラフィックス講座』を見ての技術そのものに対する感想はよく見かけるけれど、そのさらに向こう側にある仕事の進め方や、チームの協業に関してのここまで掘り下げた見方がゲーム開発の外にいる人から出てくるのって、本当にすごいなと思う。