■ [開発][プログラミング]ゲームの面白さの上限は何で決まるのか
妄想をベースにしたヨタ話。
ゲームを構成するために必要なスキルは以下の4種類に分けられる。
- デザイナー的スキル (画面に表示される絵や動きを作る)
- プログラマ的スキル (開発環境を整備し、実際に動くシステムを組む)
- プランナー的スキル (ゲームの流れや個別の仕様を作り、円滑に作業が進むように制作進行を行う)
- ディレクター的スキル (コンセプトを立ててチームが走る方角を決める、全体のクオリティチェックを行う)
ゲームの面白さの上限は、そのゲームの製作に関わった人たちのなかでそれぞれの分野に関して最も高いスキルを持っている個人の能力のうちの、一番レベルの低いものに縛られる。
具体的な例を挙げると、デザイナー的スキルに関してはものすごく絵の上手いデザイナーが一人いるだけで最終的なデザインのクオリティがそれに引きずられて飛躍的に上がる。逆に、チームに何十人ものデザイナーがいたとしても飛びぬけたスキルを持った人がいなければ、目を引くようなすばらしい絵はなかなか生まれてこない。
プログラマ的スキルに関してもおおむね同様のことがいえる。取りまとめる設計者が優秀であれば、あとの人のスキルにばらつきがあってもそれなりに品質は安定する。また、飛びぬけた技術を持った人がチームに一人いたなら「その人がいなければ実現不可能だった」という実装や表現がでてくることもあるだろう。
プランナー的スキルも基本は同じだけど、この能力に関しては例外的にプログラマがプランナー的スキルも併せ持っていることが多いために、プランナー側の能力の上限の低さがプログラマによってカバーされるようなケースもあったりする。*1
ディレクター的スキルは、他のスキルに比べるとそれを持っている人が少ない。最悪の場合、この能力を持った人がいなくても最低限商品として売れるものを作ることもできるが、そうやって作られたゲームが星の数ほどたくさん作られて売られているゲームたちの中にあっても輝くような魅力を持ち、多く人を虜にできるようなゲームになれる可能性は極めて低い。
桶に入れられる水位の上限がその桶を構成する側面の板の最も低いものの高さで決まるように、あるチームが作ることのできるゲームの面白さの上限は、上記の4分野の中でも最も低いスキルに依存する。どれか一つでも極端にレベルの低い分野があれば、そのゲームはレベルの低い部分に足を引っ張られて面白いものにはならない。結果として、各セクション内の個人のそれぞれのスキルの上限が、そのチームが最も上手く機能したときに作ることのできるゲームの面白さの上限値を決める、ということになる。*2
実際、他のすべての要素が揃っているにもかかわらず、プログラマのスキル不足が原因で面白くなるはずだったゲームがダメになってしまうこともあるだろうし、逆に稀有な例ではあるけれど、プランナー的スキルとディレクター的スキルを併せ持った一人のすごいプログラマの力で、とんでもなく面白いものができることもあったりする。ゲームは個人の才能で出来上がる。
デザイナー・プログラマの能力に関してはそのスキルを持った人の数が多いこともあって、昨今のゲーム業界では平均的なレベルの会社・チームであれば実現できる品質にはそれほど大きな開きはない。しかし、優れたディレクター的スキルを持っている人は他のスキルの持ち主と比べると絶対数が少ないために、本当に有能なディレクターは会社にとってとても貴重な人材となっている。
また、場合によっては開発チームの外側にいるプロデューサーによってチームのディレクター的能力の不足が補われることもあったりするが、それを実行するには相当な力量を持ったプロデューサーが必要となる。そのため、そういった有能なプロデューサーを抱えている会社は強い。
余談:
サウンド的スキルはこの枠外にある。ほとんどの場合、よほどひどく悪くない限りは大勢に影響を与えることはない。しかし、ある一線を越えたすばらしいBGMやSEはゲームの面白さの上限を乗算的に高めることができる。本当にすばらしいサウンドは、ゲームが与えてくれる感動を2倍にも3倍にもしてくれる。
個人的には、GBA版の「グラディウスジェネレーション」とMSX版のSCC対応の一連のグラディウスシリーズの比較や、各種名作RPGたちがこのことを雄弁に物語っているように感じている。FF・ドラクエの作曲者の名前が広く知られているのも、きっとゲームの知名度だけの問題ではないのだろう。