■ 『0から1を作った経験』
そういえばゲーム開発の世界でも0から1を作るような経験ができる事は非常に稀になってるんだろうなぁ、と思った。これまでの資産を再利用せずに0から書き起こすようなやり方はもう現実的じゃない選択肢になってしまってる
どんな分野でも、お手本をどこかで否定しながら、自分でゼロから全部作ると、個性を全面に押し出した「改良品」を作ろうとした結果、実用に遠いどうしようもない何かが生み出されることになる。こうした失敗を通じることで、その人は無難の意味とか凡庸のありがたみに気がつくことができる。
自分でゼロから何かを作った経験があれば、力の使い所や配分すべきリソース、到達できた目標と、あきらめざるを得なかった目標とが理解できる。改良の機会があればどこをどう直すべきなのか、最初に無難に到達できたその時点で、頭の中には次のプランができていたりもする。
お手本をなぞった人たちにとっては、改良とは「より厳密」を追求することになる。目的を定めず全方向的にベストを尽くした結果として、役に立たない「より厳密な車輪」の再発明になってしまったプロダクトは、世の中にはけっこう多い
外部/内製を問わずゲームエンジンを0から作りなおすような機会は今はもう稀だろうし、たとえそんな機会があったとしても、規模が大きすぎて一人の人間からは全容が見えないくらいの大きさになってしまってる。その分一人一人に求められる専門性や技術レベルは高度化してるのに。
規模が大きさが求められる状況下で、環境から余裕がなくなればなくなるほど失敗は許されなくなってきて、「無難」が強く求められることになる。参考とすべき無難なお手本となるものが数多に存在している状況下で、失敗の余地が残されていないのは、とても不幸な状況だと思う。
プログラマだけでなく、規模の大きいチームを回さなくてはならないプランナーも同じような大変さがありそう。運営するチームの絶対数が減る中で大規模なチームを回した経験のあるディレクターとそうでないディレクターいたら当然前者が選ばれるので、新しい人が入る余地もなくなってくる
でも犬小屋と高層ビルは同じ方法論では建たないし、0から作れるのはそれこそ犬小屋位の規模の物だから、犬小屋を建てた経験が高層ビルに適用できるのか?という問題も。世代交代しても組織として大規模な高層ビルを建て続けられる環境が維持できてるなら、結果としては上手く回ってると考えていいのかな