2005-01-23

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今日も昨日同様に朝起きてから自転車で京都へ。少し右膝の筋が痛むが幸いにも昨日の疲れはほとんど残っておらず、体調は思った以上に良い。昨日通った道を逆順で進み、往復にかかった時間はほぼ昨日と同じくらいだった。

座ってペダルを漕いでいる分には全く問題ないのだけれど、信号で止まったあとなどに立ち漕ぎをすると右膝付近が痛む。昨日、追いつこうと無理してたときに痛めたのだろうか。何事につけ、長い時間をかけて遠くまで行こうと思ったなら、無理せずに最後まで自分のペースを保って進んでいくことが大事なのかもしれない。自転車は、進めば進んだだけ確実に目的地に近づいていくのでとても気が楽。

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http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20050121

http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20050118より

SS 版ガングリフォンは地味なロボゲーではありません。派手な戦車ゲーです。

(中略)

サターン版ガングリの凄さは、結果的にクオリティ(ハード性能の上限)とそれを実現するためのコストが絶妙に見合っていたから成立できた確率的なものであって、XBOX であれと同等の結実を見るために必要となるコストとか想像できないので、もはやあの品質の延長としてのガングリを現代に夢を見ることがおれにはできない。時代時代でコンテンツの素晴らしさの質は変わる。

納得。今自分の理想とする「ガングリフォン」を実際に形にしたとしたら、それはどんなものになるのか?アライドストライクにはある種の期待はしていたが、そこまでは考えた事がなかった。

どれであれ結局なにかの自由度のためになにかを切り捨てるというバーターだから、その中で「なにかを捨ててるように感じさせないほど自由」を表現するのは茨の道だ、が、不可能ではない。途中を省くが基本は「プレイヤにゲーム内でできること以外をしたいと発想させなければ勝ち」。

FPSを比較しているときに似たようなことを考えたこともあったが、Sinobiなどの操作が特殊なアクションゲームでも、それを作る際には同様の感覚が必要、と・・・。いや、アクションに限った話ではないか。当然ながら、やりたいと思ったことを手当たり次第に実装していくような作り方では実現できるはずがない。それがうまくいっているゲームと、そうでないゲームの実例がいくつか思いつくが、根本的なデザインの問題?

ていうか、結局「ゲームはクリアするまで何度もトライし、クリアしてもさらに何周もするもの」というのはゲーセン発の思想であって、家庭用機だけで回していれば「一度クリアしたゲームは何度も遊びなおすものじゃない」というふうな思想で固まっていくのが自然で、そうなると「何度もクリアしてくれるようなプレイヤに期待することなどできないのだから、一回のプレイをとにかく冗長にしましょう」みたいなのが、開発費かけて回収していくようなゲームでは必須になっていくってことなんだよな、「同じものを何度でも遊ぶ」の思想はゲーセンから携帯ゲーにうまく受け皿を写すかという希望的観測もなくはなかったけど、結局あっちも量の勝負で消費路線にいっちゃった観があるしなあ。

少なくとも個人的な価値観の中では、良いゲームの評価基準として「ゲームはクリアするまで何度もトライし、クリアしてもさらに何周もするもの」というのは確固たる位置にあったが、それは「ゲーセン発の思想」であり、家庭用はまた違う、と。狙いの違う一部のゲームを除けば、そのような遊び方をしない人が多いのはそう遊びたくなるように作れなかった作り手側の責任だろう、と思っていたけどこのように考えたことはなかった。自分と相容れないゲームの遊び方をする人が身近にもいてなんとなく釈然としないものを感じてはいたが、その理由が少しは理解できたように思う。視野が狭いのはよろしくない。

けどこの「一本の出来のよいゲーをいつまででもしゃぶっている」というゲーオタの性向は、ゲーセンとか課金制ゲームの場合なら遊べばあそぶほどお金を消費してくれるわけだからタイトルの商品寿命が長くなっていいこととしても、これを家庭用ゲームに適用した場合「実はゲーム業界に対してそんなにお金を落とさない(かなり長いスパンでしかゲームを買い足さない)」という事態につながって、それはそれでどうよという話になっちゃうわけだよな。

昔なにかの本で見た「よいカードゲームは、とっつきやすく、プレイすると盛り上がり、そしてしばらく遊ぶと飽きて次が欲しくなるように作られている」という言葉を思い出した(トレカ以前の話)。

サイトが「Doodle」だった頃から毎日見ているが、この人の書く文章はマニアックではあるけれどいつもある種の本質を突いているように思う。ゲームの趣味が似ている、というのもあるけれど、自分の中にあってうまく言語化できなかったものが簡潔にまとめられていたり、自分が大好きなものでもそういう視点からは考えたことのないような斬新な切り口から見た文章も多いので、とてもためになる。こんなのを書く人が作ったゲームを遊んでみたい、と思う。