■ 昔ながらのゲームとソーシャルゲームの重要な違い
とんぼがえり@lilivid
どうぶつの森DSの社長が訊くってあったっけと探してみたら、ゲームセミナーで初代ぶつ森の訊くをやった話がでてきた。ぶつ森って最初はダンジョン探索RPGだったのかよ、魔改造にも程がある。http://t.co/9QG607SA
まんちい (社畜月間)@Manti_K
かつてファミ通で連載されていた吉田戦車のマンガで「ゲームやりたいけどゲームやるのがめんどくさいなぁ」「やらなくてもいいゲームってないかなぁ」というセリフがあった。一見アホのようなセリフだがこれを読んで開発者がひらめいた2つのゲームがある。それが『ポストペット』と『どうぶつの森』。
昔ながらのゲームとソーシャルゲームの重要な違いの一つとして「プレイ再開時に最後に中断した瞬間から始まるのではなく、電源を切ってる間に何か変化が起こった状態でスタートする」って部分があるように思う。
ゲームを中断する時って「同じ場所で何度も死んだ」「疲れた」などのネガティブ要因で止める事も多いので、その続きを遊ぼうと思ったらなにがしかの気力が必要。再開しても、前回しんどかった部分の続きをそのままもう一度遊ぶ事になる
それに対して実時間同期のゲームは、まだ続けたいのに後ろ髪を引かれる想いで止めないといけない事が多い。
しかも次に立ち上げるとゲージが回復していろんな行動ができるようになっていたり、誰かからコメントがついていたりなどの何かしらの嬉しい変化があるので、それが楽しみになって再開時のハードルがものすごく下がる。起動も速いので、帰宅してTwitterを立ち上げるくらいの気軽さではじめやすい
そういう楽しさがある、ということをかなり初期に世に知らしめたゲームの一つが、据え置き機出身の「どうぶつの森」だった、というのはなんだか興味深い
■ Halo4、終了
Halo4、とりあえず終了。最近この手のゲームを遊んでると最後の数時間は飽きてきて早く終わらないかな、とか思いながら遊ぶ事が多かったけど、今回は最後までちゃんと楽しめた。操作の違いも含むいろんなバリエーションのステージがバランスよく組み込まれていたように思う
実績のあるゲームを新規のスタジオが作るために奇をてらわずに完成度を上げる事に集中した結果、とても奇麗にまとまっていたように思う。ゲームとしての楽しさはきっちり押さえながら、不満点やストレスになるような部分が極力排除されてる感じ