2006-07-07

[][][]Half-Life2の作られ方 Half-Life2の作られ方 - Nao_uの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - Half-Life2の作られ方 - Nao_uの日記 Half-Life2の作られ方 - Nao_uの日記 のブックマークコメント

初代からのコアなファンには、HL2は案外評判が良くない。

中でもよく言われるのが、ゲーム全体の流れの悪さ。チャプターごとに違うチームが作ったせいか、レベルデザインの品質のバラつきも指摘されている

Half-Life2が前作に比べて面白く感じなかったのは自分だけではなかったようで、ちょっと安心。品質のばらつきもさることながら、寄せ集め的な内容のちぐはぐさも気になるところではあった。また、全体にレベルは高いんだけど、とても大切な「何か」が足りてない、というような感触も。

プロセスは以下のようなものである。まず約15分のゲームプレイ体験を荒く製作する。そしてプレイテストを行う。その結果から来週の優先課題を決める。プレイテストを見ていてつらい気持ちがしなくなる、つまり完成するまで製作とプレイテストを繰り返す。

きっと、『プレイテストを見ていてつらい気持ちがしなくなる = 完成』というような考え方が、Half-life2のまずかった点の一つのではないだろうか。

これはスタートラインというか少なくともそうあるべき、という最低限の基準であって、この条件を満たしたから面白いものになったはずだ、と考えるのは何かが間違っているような気がする。また、匙加減は難しいものの、全ての点において不満点をなくすことが必ずしも全体のクオリティアップにはつながるとは限らない、というような場合もあったりするはず。

目立つ不満点がなくなるところまで作りこめたところで、今あるものには何が足りないのか、そこに何を足せば求めていた面白さが得られるのか、それとも本質的に何かが間違っているのか、などを考え、その解決策を実行に移していくには、また違った思考パターンや能力が必要となる。しかし、たとえその一つ上の基準を満たして何らかの意味で「面白い」ものが完成したとしても、それが「売れる」ものになるためにはさらにまだ何かが足りないということも往々にしてあったりもするし、さらにはもっともっとそれ以前の段階に問題があって・・・、などと考え始めるとどんどん話がそれるので、Half-life2の製作工程から思ったことに話題を絞って続けてみる。

このプロセスを巨大プロジェクトで実行するためにValveでは従業員をCabalというチームに分け、それぞれのチャプターなどを並列して開発作業を行った。

プロトタイピングチームが作ったデザイン原則、ストーリー、設定などのデザイン制約を基に、個々のチャプターのチームが作業を行った。武器、NPCなどチャプターに共通な部分に関してはその専門のCabalが担当した。

こうして全体が遊べるアルファまで開発したところで、全体の質を評価する監視Cabalが作られた。プレイアブルにならないと全体のペース、難易度カーブ、多様性、一貫性を評価することはできない。

だがこのゲームには前作に及ばない点がいくつも存在する。一つはゲーム全体の流れの悪さである。冗長な章がいくつかあり、似たような展開が長々と続くのにはウンザリさせられてしまう。代表的なのがバギーを操る章だろう。延々とバギーを操って川を進みながら障害物を排除していくという展開でありもっと短く削ってもよかったはずだ。その他にも後半、仲間を引き連れて延々と突撃を繰り返す章が冗長と言える。流れの悪さと言えば全体的にチグハグで、章ごとにコンセプトがバラバラなのが変な感じである。バギーをひたすら運転したと思ったら、次にエイリアンを味方につけて延々と突撃させながら進んだり、ゲームの雰囲気の変化が激しい。そのため統一感というものが感じられない。また移動と謎解きが常に一定のテンポで繰り返されるのが気持ち悪い。内容以上に単調に感じる。

個別のチームがバラバラに各パートを作っているのも、ゲームの盛り上がりの緩急や、統一されたつながりの感覚があまりうまくいっていない理由の一つなのかもしれない。たとえあとで全体の流れの管理のためのCabalを作ったとしても、ボトムアップで作られたものを繋ぎ合わせる、というプロセスそのものが本質的にこのような問題を生み出す原因を孕んでいるように思える。

クオリティの高いものをたくさん繋ぎ合わるだけで、自然に良いものができるわけではない。いかに上等な食材を使ったコース料理でも、順序や量も考えずにげっぷが出るまで詰め込まれるような状態では楽しい食事になるはずはないし、いくら個々の料理人の腕が良くても、その中に少なくとも一人はコース全体の流れを意思と意図を持って構築できるような才能を持ったシェフがいなければ、食べてくれる人のために皿の一つ一つの量や順序にまで気を配ったもてなしの心を込めた料理を作ることは難しいだろう。そういった配慮を怠ると、一つ間違えばコース料理ではなく、ただの品のない豪華食材の寄せ集めになってしまう危険もあるかもしれない。

でもまぁ、このようなチームの運営方針なら、上記のような問題を認識したなら次回にはそれを改善するためのより良い制作フローを構築し、完成後にまた同じように発表してみんなで情報を共有しながらさらに効率の良い作り方を求めていこうとするのかも。

開発プロセスなんてものは生モノなのでこれが公開されたことが直接どう役に立っていくのかはわからないけれど、とりえずこのやり方で膨大な期間をかけてもあまり面白いゲームに仕上がらなかったという例が一つあった、ということは記憶に留めておくといいのかもしれない。

最後の別の場所からもうひとつ引用。

しかし,そういった理屈だけから導き出された答えは作り手の自我に欠けており,まるで魂が抜け落ちてしまったような面白味の無い代物になってしまう。創造とは本来,人間の自由意志 [skepdic] によって為されるべきものではないだろうか? 理屈とは創造を補助するための術であって,それ自体が何かを生み出すものとは違うのではなかろうか? 論理的な導出とは,知識と判断力さえあれば誰にでもできる,最も単純な「やりかた」であることを忘れてはならない。ある作品を他の作品とは異なる唯一無二の存在たらしめるのは,作り手の自我の力に他ならないと信じている。

理屈からの演繹だけでは成し得ない境地がある、と。

上記引用とは直接関係ないけど、『アニメがお仕事!』は絵柄があまり好みでなかったので購入対象にしていなかったのだけど、次に見かけたら買ってみることにしてみようと思う。