2005-05-14

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二進法の犬 (カッパ・ノベルス)

二進法の犬 (カッパ・ノベルス)

しがない家庭教師が偶然ヤクザの娘の家庭教師を引き受けることになり、そこから賭博や抗争の世界に巻き込まれていく話。ポーカー、手本引きなどのギャンブルを扱った場面の読後感は以前読んだ「マルドゥック・スクランブル」と似た感触もあったけれど、一小市民が突然何千万円も賭かったポーカー勝負を強いられる、という場面の緊張感はとても良かった。

この本を見るまでルールを知らなかった「手本引き」に関して検索をかけているうちに面白いサイトが見つかった。

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http://gamenoki.hp.infoseek.co.jp/gamenoki/kiji/riron.htm

その理由は「盤の面積のちょうど半分だから」ということらしい。

占有面積が小さいと戦端が開かれるまでに時間がかかってまどろっこしいし、占有面積が大きすぎるとコマを動かすときに窮屈になってしまう。同種のゲームに似たような傾向があるということは「盤面積の50%」と言うのは人間が将棋、チェスに似たゲームを遊んだときに最も「面白い」と感じられるちょうどいいバランスになる何かの秘密があるのかもしれない。

とはいえ、何をもって「面白い」と解釈するのかという問題もあるし、コマの移動ルールに依存する部分もあるのだろう。もう少し詳しく考えようとするなら「展開が遅い」とか「窮屈」という感覚とは何か、という事に関して主観に依存しない分析方法が必要なのかもしれない。また、たとえそういったマイナスに感じられる感覚をゲームから完全に排除できたとしても、それがそのまま「面白い」につながるとも限らないような気はする。

とりあえず「盤面積の50%」というのは、将棋と似たゲームのルールを面白くなるように練っていくと結果的にそのような数値に落ち着くことが多い、というあくまで結果論のようなものであって、最初からそれを目指せば必ず面白くなるはず、といった性質のものとはまた違う話なのかもしれないが、現象としてはとても興味深い。

次の「連珠の盤はなぜ15道か」という話題に関しては、

最も鋭いゲームはニムであろうが、ニムになってしまうと形勢がない。

尤も神様にとってはすべての完全情報ゲームはニムなのだろう。

の部分が気になった。完全情報ゲームであれば本質的には全てニムと同じなので、人間の能力が無制限であるなら面白くもなんともない。あまりに単純すぎるゲームも同様。それでも3目並べが幼児にとっては十分に面白いゲームであるのと同様に、連珠や8*8のリバーシは現在の並の人間にとってはまだ十分に面白く遊べるゲームなんだろう。

以前にBlokusを遊んでいるときに、残りのピースを公開情報とするのと非公開にするのではどちらが面白いだろうか?という話をしたことがある。結論としては、無限の時間と能力があれば置かれたピースから逆算できるので意味がないけれど、一手を指すのに時間制限を設けるなら人間の能力の限界ゆえにゲームが奥深くなる(人間性能による差が大きくなる?)と捉えることもできる。それを面白くなったと解釈するかどうかは人それぞれだろうけど。

持ち時間の制限がある将棋や囲碁の対局も、人間の能力の限界がゲームの駆け引きに影響している。仮に無制限に時間を使っていいルールで遊べば戦い方も変わってくるんだろうか?

「ゲームの定理」

この考察から次のような一般法則が導けそうである。

「ゲーム盤の大きさは、そのゲームを面白く成り立たせるうちの最小がよい」

この一般法則は、実は上記以上に普遍的で、何もボードゲームに限らない

と思われる。

納得。ボードゲームに限った話ではない。直感的にそのように感じてはいたけれど、このように言葉にしてまとめるととてもわかりやすい。座右の銘にしてもいいくらい?

バックギャモンの駒はなぜ30枚か」「モノポリーのマスはなぜ40マスか」「手本引きの札はなぜ6枚か」もそれぞれ面白い。バックギャモンモノポリーに関してはルールを成り立たせる要素が複雑ゆえにかなりゲームデザイン寄りな話になっているが、個別の分析を繰り返すことである種の傾向を見ることはできるかもしれない。その積み重ねの先にあるべきものが何なのか、ということになると自分にはよくわからないけれど。

今日読み終えた「二進法の犬」でも扱われていた手本引きに関しては、本質的なルールはジャンケンと同様なものなので最適戦略は完全にランダムに出すことになるから、ある程度の奥の深さはあれども賭博でなければゲームとして成立するほどの複雑さに欠けるものに見える。賭博は「賭けたものが増えたり失ったりする」という要素ゆえに娯楽としての完成度はゲームに劣るものでも成立してしまう。

それでも、駆け引きを面白く成立させるためには6つ選択肢が必要という考察は面白い。

完全に感覚的な話になってしまうけれど、1/2や1/10、ましてや1/100などと比べると1/6という確率のほうが駆け引きが面白い、というのも納得がいく話ではある。このあたりの話になると、前提条件の微妙な違いで最適と思われる数値や確率は大きく変わってくるので、ルールを設定した上で実際に繰り返しやってみないとわからない感覚なのかもしれない。

ルールの大枠がある程度固まり、このような微妙な有限の範囲内のパラメータの調整段階に入ってくると、理論よりも感覚に頼らざるを得ない場面が多くなってくる。関わりあう要素が増えれば増えるほど正確な数値が計算では算出しにくくなるので、最終調整におけるそのような「感覚」を磨いておくことは非常に重要であるように思う。

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上記のような要素は全てターン制の非リアルタイムなゲームに関しての話題ではあるけれど、Blokusにおける残りブロック非公開で時間制限を導入するルールと同様に、1ターンを1/60秒としてキー入力を行わなければパスしたとみなせば、対戦格闘ゲームなどを含む全てのリアルタイムなゲームでも同じようなことが言えるのかもしれない。それでもソリティアのような一人遊びのゲーム、Zorkのようなテキスト主体のゲームやその派生形には当てはまらないだろうけど。幅を広げ始めるときりがない。

追記:

http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Oakland/6251/log/junk.html

上記リンクの[2005/4/12]で囲碁の升目を1×1から順に一マスずつ大きくしていくとどうなるかが考察されている。こちらも興味深い。