■ [ゲーム][デザイン]「作った人だけが面白いゲーム」問題
個人で作ったゲームでも商用で作られたゲームであっても、作った人やルールを理解できた人には楽しめるんだけど、そうでない人が遊ぶと「よくわからなくて面白くない」という感想になってしまうゲームは多い。たとえ誰かには「面白い」と感じられるゲームであっても、ルールが複雑になればなるほど、そのルールを理解して楽しめる人は減っていく。
以前に作った「ライフゲームアクション(仮)」も、少なくとも作っている間の自分はきっと面白いものになるはず、と思いながら作ってたはずなんだけど、いま改めて遊びなおしてみるといろいろと問題点が目に付く。
とりあえずライフゲームを知らない人にはよくわからないという根本的な問題はさておいて、画面に色違いのゲージがやたらと多くてわかりにくく、SEやエフェクトなどで何が起こったのかを説明しようとはしているのだけど今ひとつ伝わりづらい感じで、定期的に画面下に出てくる数値などはかなり意味不明。
ライフゲームをアクションゲーム化する際に単純に赤ブロックを破壊するだけではつまらないだろうと考えて、黄色ブロックと赤ブロックの干渉を軸にゲームを組み立てようとした結果、むやみに複雑なルールになってしまったのが失敗の原因か。
それなりにスコアアタックができる形にはしてあるものの、もともとのルールの意図した形で遊んでもらうことは難しそうだし、単純なアクションゲームのはずなのに画面外に表示されるよくわからない数字を見ないと理解できないようなルールはやっぱり間違ってるような気がする。*1
おそらくこのゲームを触った人の大半は、ルールがどうなってるのかを理解する前にやめてしまうんじゃないかと思う。*2
この手の問題を改善していくためには、直接遊んでくれているところを後ろからこっそり眺めつつ、プレイ後にどこの部分をどのように感じたのかを丹念に聞き取って反映していくのが一番いい方法なんだろうと思う。実際、そうすることで得られるものはすごく多いはず。
ゲームを作っているうちに独りよがりになってきて、なにが良くて何が悪いのか、だんだん感覚が麻痺してきてわからなくなってくることは多い。
会社で誰かが買ってきたゲームを遊んでいるときに、なにかゲームとしてマズい要素を見つけたときにはみんなすぐに気づいて「これはひどい」などと批評しあうのに、なぜか自分たちの作ってるゲームになると一転して、その批評眼が全くといっていいほど発揮されずにおかしな仕様のものを何の疑問も持たずに作りつづけてしまうことはよくある。自分が作ってる途中のものを客観的に見るのは本当に難しい。自戒を込めて。
本来はこういうのはある程度形になった段階で何人かの人に遊んでもらいながら、制作時に想定されていなかった問題やわかりにくいところの修正などを繰り返して少しづつ調整していくのがいいやり方なんだろうけど、今回はWeb上に置いたFlashのゲームだったこともあって、このゲームをどのくらいの人が、どんな風に遊んでくれたのかは想像するしかない状態だった。
できることなら裏でこっそりとリプレイを記録する仕組みを仕込んでおいたりして、どんな動きでプレイしたのか、とか、どのくらい遊んだら飽きるのか、とかをじっくり眺めてみていろいろ改善していきたかったところだけど、この時には思いついたネタをとりあえず実装するのに手一杯で、そこまでは手が回っていない。
どんなやり方を取るにせよ、誰もが楽しめるわかりやすくて面白いゲームを作るためにはこのような経験や思考・分析を蓄積していく事が大切なんではないかとは思ってるのだけど、たとえ仕事でゲームを作っていたとしてもそういった機会を作るのはなかなかに手間がかかるし、その結果をどう解釈してどのように反映していくのか、という事を考えていくのもまた難しい問題だったりする。
どうするのがベストなのか、という結論が簡単に出るようなものでもないだろうから、とりあえずは手を動かしながらいろいろ考え続けていくしかない類の話なのかもしれない。