2005-01-20

[][]ダンジョンズ&ドリーマーズ ダンジョンズ&ドリーマーズ - Nao_uの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - ダンジョンズ&ドリーマーズ - Nao_uの日記 ダンジョンズ&ドリーマーズ - Nao_uの日記 のブックマークコメント

"Ultima"のリチャード・ギャリオット、"SimCity"のウィル・ライト、"Doom"の作者のジョン・カーマックなどのコンピュータゲーム文化をつくりだしてきた人々が、どういう環境でどのようにゲームを作ってきたのかがまとめられているドキュメンタリー。ごく一部のマニアの楽しみであったコンピューターゲームが、先人たちの活躍によって文化として広く受け入れられるようになっていく過程がインタビューを元にした構成で時系列にそって紹介されている。

当時の海外事情は情報源が少なく、雑誌で断片的に見る程度だったので詳しいことはほとんど知らなかったが、この本を読んで改めて、良くも悪くも本当にエキサイティングで面白い世界だったのだなと感じた。どんな分野であれ、黎明期の混沌とした状況から生み出されるものには特有のエネルギーがある。定石や定形の似た物がほとんど存在しない状態で、各人がそれぞれの多様な経験を元に新しいものをつくり出していく過程は、大変そうではあるけれどとても楽しそうにも見える。この時期にカンブリア紀の進化の爆発のように多種多様なゲームたちが作られ、そのような中から本書で紹介されているような優れたゲームの血統が生き残ってきた。

現在ではゲーム雑誌を眺めていても、ほとんどのゲームは過去にあったゲームの変種であったり換骨奪胎したような内容で、たまに新奇なゲームがあったとしても市場がそれを受け入れる余地は昔に比べると少なく、たとえ良作であっても新しい芽が摘まれてしまって後に続けにくいことも多い。現在の厳しい市場環境もあって、革命的に新しいものをつくることはなかなかに難しい状態となってしまっている。

そういった意味ではNintendo DSは、しばらくは玉石混じった状態が続くかもしれないけれど、混沌の中から新しい何かが生み出される可能性を感じる。かなり色物じみたハードウェアだけれど、今のところ普及はうまくいきつつあるだけにこの先どうなるのか本当に楽しみにしている。GBAのようにフリーで開発できる環境があればなお嬉しいんだけど・・・。

また、昔に比べるとハードウェアの性能向上でできることが格段に増えてきているが、それを生かすには単純な「量」の違いではなく、本質的な「質」の違いを出すことが必要になる。これまででも何回かそのようなターニングポイントになる表現や内容を持ったゲームが存在してきたが、次世代のハードウェアでもさらに「映像がリアルになる」以外に何か新しい衝撃を与えるような方法を考えておかなくてはならない。

本の後半ではゲーマー文化やゲームの暴力表現についても書かれていた。

暴力表現に関してはあまり他人事ではないので、ゲームの爽快感の追求にはある程度は必要ものだとといえども何かもっと別の手段や表現はないものかと日ごろから気になっている。どんなに都合のいい解釈をしたとしても過剰な暴力表現が含まれるゲームをプレイして悪影響がないはずはないし、あまり過激な暴力表現が行われていないゲームであったとしても、小さな子供が「死ね」とか「殺す」とか言いながらゲームを遊ぶ様子は見ていてあまり気持ちいいものではない。最低限、何らかのレーティングとある程度の自粛は必要になるのではないかと思う。