2005-01-19

[]北米ゲーム産業、マイナス成長 北米ゲーム産業、マイナス成長 - Nao_uの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 北米ゲーム産業、マイナス成長 - Nao_uの日記 北米ゲーム産業、マイナス成長 - Nao_uの日記 のブックマークコメント

http://amanoudume.s41.xrea.com/cgi-bin/mt/archives/000276.htmlより

国内の大手開発会社でも国内市場の頭打ちに伴って「海外市場でウケるゲームを」というような流れがあったようだが、一口に海外向けに作るといっても嗜好や内容的に難しいところがあるうえに、当然ながら向こうの市場も永遠に右肩上がりというわけには行かないみたいだ。もともと海外販売自体、国内販売とは別の面でコストがかかるために利益率も低くなりがちなので、よくよく考えてから実行に移さないとある意味危険な選択肢なのかもしれない。

それを考えるとEAの日本市場への取り組みからはかなりの本気度が感じられるが、ああいったやり方でもいずれは限界がきてしまうのではないかと思っている。

試しに、国内と海外でともに受け入れられているゲーム(PS2)を列挙してみる。

  • 国内でミリオン突破、海外ハーフミリオン以上
    • なし

http://www5e.biglobe.ne.jp/~hokora/より

ホントはもっと詳細な情報で分類したほうがいいのかもしれないけど面倒なのでこの辺で妥協。

  • 海外ではスポーツ・FPS・映画版権物が圧倒的
  • 国内と海外で共に受け入れられるゲームはあまり多くない
  • 日本発で海外で受ける内容のゲームを作るのも難しそう

なんか、当たり前のばかりで、このような状況を踏まえて結局のところどうすればいいのか?といわれても特にいいアイデアが出るわけでもないので、あまり意味はないかも・・・。

せいぜいできることといったら確実にいくためにターゲットをしっかり絞って売り上げを確保すると共に、他と同等以上のクオリティのものをいかに少ないコストで仕上げて損益分岐点を下げるか、みたいな話になるんだろうか。こんな内側に向いた考えではなくて、もっと幅広く市場そのものを広げていけるようなものとかを考えないといけないのかもしれないけど、その辺は他力本願ながら任天堂に期待。

あと、私見ではあるけれど、昔から「海外向けのゲームは難しくしなければならない」といわれているが、今でも本当にそのままの考え方で作ってていいのだろうか?と思うことがある。昔は洋ゲーといえば「難しい」というイメージがあったが、最近は意外とそうでもない。比較的丁寧なつくりのゲームが多くなってきているし、チュートリアルの充実や短いセーブ区間、ほとんどの場合力押しでなんとかなってしまうバランス(?)などを考えると、むしろヘタな日本のゲームよりも先に進むための難度そのものは低く感じることもある。それでもやや難しめのゲームが好まれる傾向はあるようだし、日本人に比べてある種の「やりがいのあるゲーム」でないとダメみたいなところはあるだろうけど、個人的には日本の5年遅れくらいの状況で同じようにだんだん難しいゲームから易しいゲームへと好みがシフトしていくのかな、と思っている。

特にEAのゲームで顕著に感じるが、最近では北米版であっても難度よりもボリュームでプレイ時間を稼いでいるような傾向があるように思う。日本人よりもクリアすることにはこだわらないためか、シナリオに波や引きのあるゲームが少なく、変化をつけることに失敗しているゲームでは同じことの繰り返しになって途中でやめてしまうことが多いけれど。

向こうはゲームのレンタルもあるようなので一概にはいえないし分からないことも多いので、機会があれば一度、米国や欧州在住のこのような状況に詳しい人たちに話を聞いてみたい。

※後日追記:上記の内容は海外というよりは北米に限った話になってしまっている。北米と欧州はまた違った市場だろうけど具体的にどのように違うのかについてほとんど知らないので、それがわかるいい資料はないものか?

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数年前に上下巻セットで購入して、上巻はすぐ読み終えたものの下巻を読む機会がとれずにそのまま置いてあったのを部屋の片付けの時に発見し、読了。

映画「ネバーエンディングストーリー」の原作だが、映画は上巻の内容のみとなっていて、下巻ではその続きが語られている。マンガ版のナウシカのような感じ?

話を大雑把に要約すると、上巻で想像力があれば何でもできる空想の世界に入る素晴らしさを知った後に、下巻ではそこから現実世界に帰ってくるまでの軌跡が描かれている。世界の救世主であり創造主となったバスチアンの願いが無条件に次々と叶ってしまうことから来る漠然とした不安感と、それによって着実に破滅への道を歩んでいく展開は、前半の解決に向かう気持ちよさと比べると読んでいて少し辛く感じたが、全てが終わってみて納得。自分なりにいろいろと考えさせられるところがあった。

小さい頃に見た映画版もけっこう面白かったように記憶しているが、下巻を読み終えてみると映画の結末は作者の意図とはかけ離れた展開となっていることがわかる。実際に、作者は映画の内容に不服で訴訟まで起こしている。

1982年 53歳  「はてしない物語」映画化の権利を巡り、制作者がわの意図に

            気づかず契約書にサイン。彼の承認した監督と脚本が斥けられ、

            別の監督が別の脚本で撮影を始めていたことを知ったエンデは

            ミュンヘンに駆けつけるが、撮影所への入場を拒否される。

1984年 55歳  抗議を無視して制作された映画「はてしない物語」公開。

            エンデは原作とかけ離れているとして最終シーン削除のために

            訴訟に踏み切り、原作者の名を削るよう要求。

1985年 56歳  裁判がエンデ・ティーネマン側の敗訴に終わる。

http://www.fsinet.or.jp/~necoco/endehistory.htmより

確かに後半のテーマや内容はあまり映画向きではなかったようにも思うが、作品を通して一番伝えたかったことを骨抜きにするばかりか、それに相反する結末を用意するのはどうだろう。原作を映画化したりドラマ化したりするときにはよくあることかもしれないし、2時間という限られた枠内で観客に楽しんでもらうためにはあのような形にするのが良かったのかもしれないけれど、原作者が訴訟を起こしたくなるような形で公開されるというのもなんだか悲しいことのように思う。自分のように映画をきっかけに原作を読む人がいることを考えれば、悪いことばかりではないのかもしれないけど。