2006-04-17

[][][]ゲームを作る人が意外とゲームで遊んでいない、という現実 ゲームを作る人が意外とゲームで遊んでいない、という現実 - Nao_uの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - ゲームを作る人が意外とゲームで遊んでいない、という現実 - Nao_uの日記 ゲームを作る人が意外とゲームで遊んでいない、という現実 - Nao_uの日記 のブックマークコメント

彼は俺に問うた。

お前、ゲーム1000本クリアしたか、と。

俺は答えた。

おそらく半分もないでしょう、と。

彼は俺に言うた。

お前にゲームを語る資格は無い、と。


まあ、要約するとこんな感じ。ずいぶん乱暴なようだが、1000本ゲームをクリアしていることがゲーム制作の上でものすごく有益だろうということは、同意できる。ゲームを十分に遊んで、プレイの「感覚」を自分の「感覚」にするまでの基準が「クリア」であり、どんなジャンルの人間とも遊んだソフトを共有できる本数の基準が「1000本」と解釈すると、その先輩の主張も荒唐無稽なものとは思えない。



ゲームプログラマにもいろんなタイプの人がいるけれど、「触っていて気持ちいい」動きが作れるようなプログラマの人は、大抵の場合、これまでに膨大な数のゲームを遊んできたうえに、今でも継続してゲームを遊び続けているような人が多い。

プログラマは他のセクションと違って、自分のイメージする動きを直接プログラムとして実現できる。気持ちのいい動きを作るためにはそれを実装するためのプログラム技術だけではなく、作りたい動きそのものをイメージする能力も必要とされる。こういったイメージ能力は、これまでにいろいろなものを見たり触ったりして体に刻み込まれてきた経験から生み出されるものだろうし、おそらく、そのような経験はある閾値を超えるまでは遊んできたゲームの数に比例するのだろう*1

動きに限らず、パラメータや難易度曲線の調整、「気持ち良い」と思えるモーションやタイミングなど、感性に依存するような調整が必要になってくる部分は、その人のこれまでに経験してきたものの中から生み出されてくるものだったりするのだろうし、その中には実際のゲームプレイからしか得られない経験も多くあるに違いない。

「大人になったらゲームは卒業」と言われたりすることもあるけれど、ゲームを作っている人たちの中でもすっかり「卒業」してしまっている人が意外と多いことには驚く。「最近面白いゲームがないから」「仕事が忙しくて」「家庭を持ってから割ける時間がなくなった」など、各人それぞれいろいろな理由はあるだろうけれど、それぞれの立ち位置なりに、自分の飯のタネや業界がどうなっているのかには興味は持ち続けていないとマズいようには思う。また、大きな会社の偉い人になると、もう個々のゲームがどうなっているのかなんてのは見る必要はなかったりするのだろうか。

よくゲーム業界を志す人に対して「ゲーム以外のことをたくさんやっておけ」というアドバイスが為されることが多いけれど、これは特にプログラマやプランナーに関しては、「ゲームをよく知り尽くした上で」と付け加えた方が良いのではないか、と個人的には思っている。社会人になると「ゲームは一日一時間」の意味が子供の頃と逆になってしまっていて、以前いたチームでは「業務時間中でもいいからもっとゲームで遊べ」と推奨されたことさえある。そのくらい、ゲームに触れる時間は短い。義務で遊ぶようなゲームなんて面白くはないだろうけど。

もちろん、みんながみんなマニアである必要はないし、そうなったらそうなったで別の問題が出てくるのでバランスは大切だろうけど、少なくとも自分から見えている範囲では、ゲームをあまり遊ばない人の割合の方がちょっと多すぎるのではないか、と感じている。それこそ新規に提案されたアイデアとまったく同じものが過去にすでに存在してたり、ひどい時には海外ではメジャーなタイトルで普通に実現されてることを当人が「これは新しい!」とか言ってるのに知識不足で気付けないケースとか。

少し前に、スマブラの桜井正博氏がファミ通のコラムで、「年間100本以上の膨大な数のゲームをこなしている」と書いているのをみて驚いたことがあった。仕事内容や人のタイプにもよる違いもあるだろうけど、今のゲームがどうなっているのかを知るためにはそのようなゲームを遊んで体で覚えるのが一番確実で手っ取り早い方法なのだろう。自分も最近はゲームを遊ぶ時間が激減中だったりするので、少しづつでも未開封のゲームの山を崩していかねば・・・。

*1:だからこそ、スーパーマリオタイプのジャンプ挙動をあのタイミングで完成系に持って行った宮本茂氏は偉大だ。