2006-04-19

情報の未来と果てしない退却戦 情報の未来と果てしない退却戦 - Nao_uの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 情報の未来と果てしない退却戦 - Nao_uの日記 情報の未来と果てしない退却戦 - Nao_uの日記 のブックマークコメント

だからおれにとって大したことのない情報はネットに上げる。おれにとって大したことがないわけではない情報、たとえば自分や他人の個人情報は、ネットに上げない。そういう基本ルール。Google の検索結果がゴミだらけで使いものにならなくなる日が来れば、おれにとっての Web 2.0 は御破算、または賞味期限切れということだ。

Googleの、そして情報を望む者の理想は、ありとあらゆるデジタル化可能なデータをデジタルデータとして分類・整理し、それをいつでも適切な形で検索・取得できるような体系を作ることなんだろう。ネットに上がった情報を分類・利用しようとするのはGoogleに限った話ではない。

望んでネットに送り出した情報とはいえ、自分の書いているこの日記もまた「edita」のようなものによって自動的に誰かの情報編集の対象とされるのだろう。それと同じように、たとえ望まずに流出した個人の大切な情報であっても、それもきっと誰かの情報編集の対象となってしまうのだろう。

個人情報もやがて、望む・望まざるに関わらずデジタル化されていく。そして、技術の進歩はプライバシーの侵害を容易にする方向にしか進まない。いずれ、個人の購買履歴や移動経路の履歴でさえも、簡単に取得できるようになってしまう日が来るだろう。また、どれだけ厳重な管理を行ったとしても、情報はいずれ取り返しのつかない形で流出・放流されて、公知のものとなってしまう。そして、何かの間違いで一度広まってしまった情報を回収することは、原理的に不可能に近い。

また、仮に情報の本性が上記のようなものであるとしたなら、この世界がローマ滅亡後の暗黒時代の欧州のような状況にでもなってしまわない限り、たとえGoogleが滅びようとも第2、第3のGoogleが現れて同じ事を繰り返すに違いない。必然的にありとあらゆるデータのデジタル化とネットへの流出は進み、情報はすべて共有のものに近づこうとする。それを防ごうとする人たちは、終わりのない退却戦を強いられる。

こういう技術の急激な進歩に対応して体制を変えていくのって、役所には苦手なことです。ですから、私は住基ネットから大規模な流出が起こらないとは考えにくいんですが、これ一回起きたら、被害者はもう住民票に出ている住所や生年月日くらいはあきらめて、せめてクレジットカードだけは守りたい、と思うしかないでしょう。さらに、カードも番号はしょうがないから、購買履歴だけはキープしたい、もっと進んだら、個人のデータはあきらめて軍事機密だけは守らないと、という感じで、毎年毎年防衛ラインは後退していきます。

セキュリティは退却戦であるから難しいです。そして、セキュリティを評価するのはもっと難しい。さらに、長期的にどうあるべきか考えるのはさらに難しい。なぜなら、最後には守れるものがほとんど無くなるんです。あるいは、今守られているものを守るために途方もないコストが必要になる。

守るべき情報とそうでない情報の違いは何だろうか?また、守るべきものはどのようにすれば守ることができるのだろうか。

そして、遠い未来、果てしない退却戦の末に最後に残るのものは何になるのだろう?


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しかし、買うほうにも事情ってもんがある。ポッドキャスト「This Week In Tech」で先日、Yahoo!がFlikrを買って、困り果てているという話を聞いた。写真データベースだから、サーバーも帯域も喰う。で、彼らのビジネスモデルは、アップロードした写真をプリントすれば有料、というものだが、さて、あの膨大なユーザー数(正確には知らない)に対して、プリントの注文はどのくらいあるか?なんと週にたったの80件なのだそうだ。ユーザーが増えれば増えるほど、赤字が雪だるま式に増える。かといって、閉鎖すればユーザーの不満が大きすぎ、企業イメージが悪くなってしまう。Yahoo!の他のコンテンツや広告との連動をさせていくしかないのだろうが、今のところまだうまい方法が見つかっていないようだ。

なるほど、だからだーれもYouTubeに手を出さないワケだ。こっちは、動画だからもっと始末が悪い。

投資で資金を募って無料で利用できる仕組みを作り、多くの利用者を集めることができたもののそれを直接お金に変える術が見つからない、というモノが増えてきているんだろうか。

海外のベンチャーでは、海のものとも山のものともわからないものに誰かがお金を出し、「それなりに役には立つし面白いのだけど儲からない」というものが量産され続ける仕組みが機能しているという状況は、とても興味深い。

しかし、続けるには資金が必要だけど、収入源のないものは永続的に続けるわけには行かない。それでも、儲からないからといっていまさらFlikrやYouTubeGoogleになくなられるのはとても不便だし、ある意味人類にとっての損失ともいえる。しかし、おそらくこれらがなくなっても社会は普通に回り続けるだろうし、自分が生きていくのにもたぶん大した支障はない。

Web2.0は儲からない」とはよく言われる。これはまだその技術で設ける方法が見つかっていないだけなのか、それともただのバブルが膨らんでいっているだけなのかはまだわからない。20年ほど前までは国家が必要とする戦争の為の技術が技術革新の原動力だったけれど、現在では個人の集合が無意識に求めている情報そのものが、新しいものを生み出すための原動力となっている。

個人的には面白いものが日々量産され続けるような時代が続くとありがたいのだけど、こういう状況って半永久的に続けることができるものなんだろうか?