2006-01-04

Nao_u2006-01-04

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会社の先輩が忘年会のビンゴの景品で、HORI製の装着型連射装置「オレコマンダー」を入手していた。

早速借りて右手に装着して試してみたけれど、いまどき連射が必要なゲームは少ない。何か「オレコマンダー」の威力が発揮できるゲームはないか、と思って自宅の物置のファミコンソフト箱を探っていると『迷宮組曲』が見つかった。このゲームはタイトル画面で連射数を測定することができる。今も昔も、正確な秒間連射数を知りたいと思ったら「シュウォッチ」かこのゲームを用意するしかない。

迷宮組曲』が発売された当時は自分は小学生で、両親からクリスマスプレゼントとして買ってもらったのを覚えている。ファミコン初期のゲームとしては珍しくコンセプトのはっきりとした独自の世界観を持っていて、グラフィック・操作性・謎解きなどすべての要素がとても丁寧に作りこまれている、本当にすばらしいゲームだった。

以前に『迷宮組曲』について検索していたときに、作者の方にインタビューを行っている攻略サイトをみつけた。

・ 迷宮組曲の発表から10年以上経ちましたが、笹川さんにとって迷宮組曲はどのような作品だったのでしょうか?

 ゲームコンセプト、シナリオ、キャラクターデザイン、プログラム、サウンドプログラム、効果音を全部自分でやりました。

 当時、自分の持てるエネルギーを全てそそいだ作品なのでとても思い入れがあります。今でも、どこにも類をみないゲームだと思っています。

 笹川さんはゲームの音楽や制作のプロデュースで活躍する傍ら、97年よりピアニスト・作曲家として北海道を中心にコンサート活動を行い、98年4月の沖縄コンサートを始めとして日本各地でのコンサート活動を計画中です。

 98年4月には待望のファーストソロアルバム「AQUA=MIZU」をMOONLIGHTレーベルより発表。

大部分を一人で作ったゲームだったようだ。ボーナスステージで順番に楽器の数が増えてBGMが豪華になっていく要素や、今でもはっきり覚えているほどに印象的だった井戸ステージのBGMなど、当時のゲームとしてはとても音に力が入っているなとは思っていたけれど、作者の方はもともと音楽畑の人だということで納得。現在はゲームの開発から離れて音楽活動を行っているらしい。


作者の笹川さんは、ちょうど一年ほど前からBlogを書いている。

一年前のこのBlogの開始当初に偶然見つけ、そのときからずっと読んでいる。ファミコンが発売された頃のゲーム製作現場の空気がどんなものだったのかの知ることができ、とても興味深い。以下、迷宮組曲関連の記事をいくつかピックアップ。

僕はあのゲームの、全てのプログラム、シナリオ、メインキャラクターデザイン、制作

行程の監修、音楽監督サウンドプログラム、効果音制作を一人で担当しました。今で

は考えられない領域の広さですが、当時でもここまで一人でやる人は周囲にも誰もいま

せんでしたし、後に業界の中で交友が広がっていきますが、こんなにあれこれ自分でやっ

た人の話はきいた事がありません。ですから、プログラムも書いて、デザインもして、

音楽も詳しいとなると、本当に限られているんだろうと思います。そんな自分だからこ

そ、生み出せた作品であるとも思います。

とにもかくにも「スーパーマリオ」でしたね。ただ、プレイしてもらうと分かるのです

が、マリオの動き方と、ミロンの動き方は全く違うんです。僕はマリオの動きは、すご

く操作性がいいと思ったけれど、納得がいかなかった。僕はもっとそこに空気がある感

じを表現したかった。本当に「浮くような」感覚ですね。それで空中での姿勢制御につ

いては、本当に長い時間をかけてプログラムを調整し続けました。ゆっくり留まること

もできる一方で、横移動の時などは早く走れるようにスムーズに加速、減速もできる。

マリオの操作性を踏襲して、更にそれ以上の要素をいろいろ足していったわけです。そ

の研究結果を具体化する為に、アイテムの効果については「後から決めていった」んで

す。ですから、僕の場合、プログラムしながら「実現できそうなこと」をネタにして、

アイテムにしたり、トラップにしたりしていきます。

ですから、自分のタイトルにしても、他の社内のタイトルにしても、絶対に妥協しない

曲作り(当時は、監督する側として)にこだわり続けました。

時に、そのこだわりが強過ぎる為に、社内からはかなり反発をくらうこともあったし、

制作スタッフの反感を買うこともしばしば。まぁ、なんで僕がそこまで音楽にこだわるのか、

誰もわかってはくれなかったですね。なぜって、「音楽なんて売り上げに関係ない」って

会社も他の部署の人も考えていたからです。

でも、僕はいつも信じていました。

小さい子供たちが体験するゲーム。

それに何時間も何時間も没頭するんですから。

頭のなかでリフレインする「メロディ」がある。

それは一生その子の記憶に焼き付くに違いない。

音楽の原体験になるに違いない。

一生、携え得て持っていってもらうにふさわしい音楽を

提供したい。それに恥ずかしくないものを作りたい。

それが僕の信念でした。

あのころに遊んだゲームは自分にとってまさに原体験そのものなので、当時夢中になって遊んだゲームがどのように作られていたのかを20年近く経ってからでも知ることができるのはとても幸せなことに感じる。

今はじめてゲームに触れる年代の子供たちはどんなゲームを遊び、どのような原体験をもつのだろう?