2005-07-27

[]羽生 善治著「決断力」 羽生 善治著「決断力」 - Nao_uの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 羽生 善治著「決断力」 - Nao_uの日記 羽生 善治著「決断力」 - Nao_uの日記 のブックマークコメント

http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003627.html

面白そうな本。解説を見るだけでも興味深いトピックがいろいろあるけれど、その中でも特に印象に残ったのは以下の部分。

情報化社会では、個人の才能はすぐに全国、全世界の統一ランキングのどこかに位置づけられてしまう。最初から上位になれる人は稀だ。大抵は何千位や何万位から始まる。それでは嫌になってしまう。

かつては統一ランキングが見えなかったので、各地域のトップ、地域の秀才がそれなりに満足して存在することができたように思う。地域のトップに到達すると、さらに上の広い世界のランキングが見えて、新たな挑戦が始まっていた。徐々に拓ける世界展望というモデルが、多くの才能を育てていたのではないか。

今の世の中、インターネットがあるおかげでいつでも世界のトップクラスがどんなことをしているのかを簡単に知ることができる。それにはいい面も悪い面もある。

最近自分が感じた例だと、ドッツをはじめるときに現物が手元に届く前にすでにネット上で自分が作ろうと思っていたネタやものすごく手間のかかった大作などがたくさん公開されていて「わざわざ自分でやる必要があるのか?」と少しやる気を失いかけたことがあった。他人は他人、自分は自分と割り切って楽しめばどうということもないことなんだろうけど、あまりに高いレベルのものに簡単にアクセスできてしまうと、ステップアップに不可欠な「小さな自己満足」の機会が失われてしまう可能性があるのもまた事実だと思う。

そのようなハイレベルなものについていける人であれば、昔に比べるとその努力に見合った目標やライバルを簡単に見つけることができ、お山の大将になることなく切磋琢磨してさらに上を目指す機会も増えるのだろうけど、あまりにレベルの高いものを先に見てしまうと興味はあっても「自分にはムリ」と思ってやる前からあきらめてしまう人も出るだろう。このような傾向はゲームの攻略ややりこみに関してもそういった側面があるかもしれない。マニアな人はどんどん先鋭化してとんでもないレベルに到達し、スコアやムービーにリンクを張ることでその情報に誰でも簡単にアクセスできる。それを傍から眺めている分には楽しいけれど、そこには中途半端な素人のつけ入れる隙間はない。情報の多様化のせいもあって以前に比べると先端の尖った歪んだピラミッド構造が生まれやすくなっているし、本来そういうハイレベルな情報を知らなければ得られていたであろう個人的な小さな満足感や、それに伴う順序だてたレベルアップの機会が失われてしまう場合もあるかもしれない。

その人のレベルにかかわらず行為そのものが十分に楽しければこういうことは問題にならないだろうから、ゲームを作るにあたっては一部の極端にハイレベルな人だけではないその他大勢のみんなが楽しめるように、ゲームの中で普通に遊んでいるだけでも段階的な進歩や満足感が得られるようしていくことを以前よりもより強く意識するとともに、「行為の楽しさ」や「達成感」を相対的な評価基準によらずに得られるような仕組みを考えていくのもいいのかもしれない。

ネットがなければ自分はそもそもドッツの存在そのものを知らなかった可能性が高いし、レベルの高い、すごいものを見ることで興味を持って触ってみたいと思う人が増えて広がっていくという側面もあるだろうからこういった情報化がいいことなのか悪いことなのかはわからないけれど、とりあえずちょっとした「小さな自己満足」を得る感覚は大切にしていきたいと思う。この数年だけ見ていても情報が伝わる量と消費される速度はどんどん加速しつづけていると感じることは多いし、それによって世の中の流れや仕組みが変わっていく様子もとても興味深く、このような面白くていい時代に生まれた事に感謝したい。