2006-03-26

批判を作者に届けてしまうメディアの進歩の功罪 批判を作者に届けてしまうメディアの進歩の功罪 - Nao_uの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 批判を作者に届けてしまうメディアの進歩の功罪 - Nao_uの日記 批判を作者に届けてしまうメディアの進歩の功罪 - Nao_uの日記 のブックマークコメント

だが、気分に流されやすい消費者が作品に対して安易に責任を取らない言説を垂れ流せるシステムがそのままの形で放置されていいのか、という問題については多角的な面からどうすればいいのか考えられるべきである、というのが俺のスタンスだ。

たぶんもう既に語りつくされているような話だとは思うけれど、現に2chAmazonが存在していて、はてなブックマークのようなものを作ることが技術的に可能になっている時点で、喫茶店でのダベリトークレベルの批評や批判が製作者側に届いてしまうことはどうやっても避けられない。小学生レベルの批判や、ろくに触りもしないのに「クソ」と決めつけるような陰口はこういったメディアができるよりもずっと昔から変わることなく存在していたけれど、現在はさまざまな情報メディアの進歩によってそれが簡単に作者や他の聴衆にまで届くようになったというだけのことでしかないのだろう。

それでも、通常は家に苦情の電話が殺到して鳴りっぱなしになったり、毎日郵便ポストに大量の不幸の手紙が届いたりするような状態になるわけでもない。基本的にほとんどのメディアは自分の方からそこに情報を取りに行こうとしなければ目に入らないわけだから、悲しいことだけど、どうしても批判を見るのがイヤなら見に行かなければいい、としか言いようのないことなのかもしれない。

スパムメールに引っかかる人がいつまで経ってもいなくならないのと同じで、リアル小学生や、小学生レベルのリテラシーしか持てない人たちは尽きることはない。きっとそれはもう、そういう現実として諦めるしかないことなんだろう。

とはいえ、Amazonで発売日前なのにレビューが載せられたりするのはシステムの方がおかしいような気はする。AmazonMOTHER3のページをはじめて見たときには、知らない間にもう発売されていたのか?と勘違いしそうになった。肯定的な意見ばかりだったからまだいいけれど、これが酷評だったりしたら・・・。

Amazonに限らずシステム側でできることは可能な限り対処すべきだろうけど、それでも情報流通を容易にするようなメディアの進歩は止められず、技術的に可能なことはどんなことでも実現されてしまうし、一度作られて広く使われるようになったメディアがなくなることはない。

人力によるフィルタリングは情報量の増加によってすぐに現実的ではなくなるだろうから、心無い声を完全に排除することは不可能に近いことなのかもしれない(そのへんはSlashdot方式が今のところ一番上手くいってる?)。情報流通のコストは今後も下がり続けるだろうし、それに伴ってノイズが増加することはきっと根本的に避けられないことなのだろう。

このような現実は、それで飯を食っているような人間であれば諦めて受け入れるしかないのだろうけれど、だからといって趣味で創作物を作る人たちにまで同じことを要求するのは酷なことなのかもしれない。

そして本当の意味で純粋にモノを創り出すことにしか興味がないような純粋な「クリエイター」は、「0→1のクリエイター」の側に圧倒的に多いことも事実である。そして俺はそういう人たちは「偉い」とか「偉くない」とかそういうレベルではなく、単純に「凄い」と思ってるし、そういう人たちがネット上のくだらない中傷によってモノが創れなくなってしまうことはもったいないとも思っている。「それが現実社会だ」「金払ったお客さんたちの意見はどんな意見でも聞くべき」「プロとしての意識が足りない」「本当に自分が創ったものに自信があるならくだらない意見なんか流しておけ」といった意見はどれも正論であり、俺自身その通りだと思うのだが、「0→1のクリエイター」のような人たちがどれだけのびのびと活動できるかで、その国の文化レベルみたいなものが知れるんじゃないの、とも思う

趣味として作品を公開し、何の対価も得ようと思っていない人たちのモチベーションが心無いコメントのために削がれてしまうのは確かに勿体無いことではある。

批判とはちょっと話が違うけれど、これを見て思い出したのが『すなめ地獄*1』『CANNON CAT*2』をつくった「DOFI-BLOG どふぃぶろぐ」さんのコメント欄が荒れている件。

FF12が面白いので開発が一時止まっています」という作者のエントリに対して、リアル小学生としか思えない頭の悪そうな書き込みがたくさん寄せられ、コメント欄が荒れている。

こういった無意味な荒らしを作者の管理する掲示板に書き込んだり、苦情メールを直送されたりすることは、もうどうやっても避けられない。読んでいてこちらまで不快になるくらいに酷い書き込みが続き、これを見た作者の人がどう感じるだろうかと思うと本当にやりきれない。

しかし、批判が簡単に作者まで届くようになったのは、より少ないコストでお手軽に多くの人から感想をもらえるようになったのと引き換えでもあるから、悲しいことではあるけれど有名税みたいなものである意味仕方のないこと、とも言えるのかもしれない。

自分が中学生の頃には、ゲームを自作したとしても身の回りの数人程度に遊んでもらうことしかできなかった。高校の頃にパソコン通信が使えるようになると、その環境を利用することで身近な人だけでなく、数十人~数百人の全く知らない人に遊んでもらうことができるようになった。

最近ではインターネットの普及により、作ったものを手にとってもらうための敷居は一気に下がり、やり方次第では個人製作の作品であっても開発室Pixelの作品のように本当の意味で世界中の人に遊んでもらうことさえ可能になった。また、HPに掲示板を設置することで、たくさんの人からリアルタイムに感想をもらうこともできる。多くの人に見てもらって感想がもらえるのは新しいモノを作るための大きなモチベーションになるだろう。たとえそれがくだらない批判や中傷と引き換えになるとしても。

たくさんの感想の中にはノイズが入ってくるのは必然だから、そういったノイズに対するあしらい方を学ぶのもまた一つのリテラシーかもしれない。また、リアル小学生が小学生レベルの思考しかできないのは当然のことで仕方なくはあるけれど、そういった年代のうちから義務教育できっちりとリテラシーやマナーを叩き込んでいくことで少しでも事態が改善されていくことに期待したい。さまざまな創作が文化として発展できるようなレベルを保つためにも。