■ Modern Warfare 2 脚本家インタビュー
ここまでゲームで得られる「体験」の質が変わってくると、
- しょせんフィクションだから「何をやってもいい」のか
- MW2の「テロリストの仲間にになりきるために民間人を殺してもいい」のか、「民間人は殺しちゃダメ」で「敵兵だから殺してもいい」のか
- 人間ではない「ゾンビだから頭をふっ飛ばしてもいい」のか
- Haloみたいな「宇宙人だから撃ち殺してもいい」のか
- スペースインベーダーでの「ドット絵の侵略者だか撃ち落としていい」のか
- マリオは「椎茸の化け物だから踏み潰してもいい」のか
みたいな判断には、人によって違う許容可能ラインがこのグラデーションのどこかにあり、そのラインの良し悪しはあまり恣意的に決めるものでもないし明確な結論が出る話でもないだろうから、と今まであえて考えないことにしてたんだけど、そろそろ一度ちゃんと考えてみたほうがいいのかな、という気がしてきた。
「現実とゲームの区別がつかないような人がいて困る」といいつつ、この手のゲームの作り手側は「現実と区別がつかないようなゲームを作る」ことを目的としている。
どれだけ慎重に扱っていたとしても、一度引き出されて、評価されてしまった方法論はエスカレートしていく。
まるで現実のように感じるが、同時にこれはビデオゲームであって、その反響は凄まじいよ。あれほど深い感情をビデオゲームが引き出す事が出来るとは思っていなかったけど、実際そうなったんだ。
少なくとも自分自身の考えとしては、ゲームが、特に「リアルな体験が得られる」ようなゲームが絶対に引き出すべきでない類の感情・体験だと思ってる。