2007-11-26

急降下爆撃:ハンス・ウルリッヒ ルデル 急降下爆撃:ハンス・ウルリッヒ ルデル - Nao_uの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 急降下爆撃:ハンス・ウルリッヒ ルデル - Nao_uの日記 急降下爆撃:ハンス・ウルリッヒ ルデル - Nao_uの日記 のブックマークコメント

スツーカ隊ユンカースJu87のパイロットとして、2530回の作戦飛行でソ連戦車519両を爆撃。スターリンをして「ソ連人民最大の敵」と言わしめ、その首に多額の賞金が掛けられたドイツ空軍の英雄ハンス・U・ルデル。唯一最高位の騎士鉄十字章を受け、ヒトラーから再三地上勤務を命じられるもそれを拒否。幾度も撃墜されながら、右足を失った後も義足で飛び続けた“東部戦線の鷲”がつづる闘志あふれる戦闘記録。


ハンス・ウルリッヒ・ルーデル - Wikipedia ハンス・ウルリッヒ・ルーデル - Wikipedia  - Nao_uの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - ハンス・ウルリッヒ・ルーデル - Wikipedia  - Nao_uの日記 ハンス・ウルリッヒ・ルーデル - Wikipedia  - Nao_uの日記 のブックマークコメント

ルーデルはバルバロッサ作戦において1941年6月23日に初の戦闘を経験し、1941年7月18日に1級鉄十字勲章を受章、急降下爆撃機Ju 87を駆って、終戦まで東部戦線で戦い抜いた(その戦績は後述)。「何度も乗機を撃墜され、捕虜になりかけた(当時彼の首にはソ連軍によって賞金が懸けられていた)」「出来る限り休暇を減らして出撃回数を増やすよう上司に嘆願し、そのために書類を偽造した」「撃墜されて満身創痍で基地に帰ったのに、そのまま再出撃しようとしたりした」といった強烈な逸話が数多く残っている。5回目の負傷の時には片足を失っているが、治療期間中にソ連軍を攻撃できないことの方が悔しいと訴えたという。彼は負傷が完治する前に病院を抜け出して部隊に戻り、特注した義足をつけて再び戦線に復帰した。

その戦績のあまりの凄さに、スターリンが演説の中で「ソ連人民最大の敵」と名指しで攻撃したことさえある。

戦績

  • 出撃回数2530回
  • 戦車519台破壊
  • 装甲車・トラック800台以上破壊
  • 火砲(100mm口径以上)150門以上破壊
  • 装甲列車4両破壊
  • 戦艦1隻撃沈(マラート)
  • 巡洋艦1隻撃沈
  • 駆逐艦1隻撃沈
  • 上陸用舟艇70隻以上撃沈
  • 航空機9機撃墜(戦闘機2、爆撃機5、その他2。9機のうち2機はIl-2であったとする資料もある)
  • (被撃墜回数30回)
  • (戦闘による負傷5回)
  • (賞金10万ルーブル

なお、これらの戦績はあくまで公式記録である。戦友らによれば、ルーデルはその過酷な任務を正当化し、同時に戦友らの評価を上げるために、自らの戦果を他人の戦果として計算させていたとされる。そのため、実際の戦果はこれより多いとも考えられている。 また彼は負傷した際、病院から抜け出してこっそり出撃し戦列に紛れていた為、さらに戦果は多かったものと思われる。 何せ「誰が破壊したのかわからない戦車」が多すぎた為、病院を抜け出していることが発覚したくらいなのだから。

ハンス・ウルリッヒ・ルーデルの自伝「急降下爆撃」を読み終えた。

著者が体験したことが淡々と記述されているのだけど、内容はにわかに信じがたいくらいの大戦果。周りの人からはどのように見えてたんだろうか。

幾度も撃墜されてもそのたびに脱出して基地に戻ってくるし、墜落した新米の兵士を救おうとして着陸したら泥に車輪を食われて飛び立てず、その場で赤軍兵に囲まれてCOD4の狙撃ミッションのごとく草陰に隠れて探索を逃れながら命がけで冬の川を泳いで逃げたり、そんな目にあったにもかかわらず、その後も命令違反を冒しながらもまた同じように仲間を助けてたりとか。そんな無茶を繰り返しながらなぜこの人が死んでいないのか、本当に不思議でならない。

勲章受賞時や地上勤務の要請時などに、何度かヒトラーと直接会話をしてる場面も印象的。総統も孤独だったのかもしれない。

・地上攻撃機同士の邂逅なら大丈夫だろうと思っていたシュトルモビクが37mm砲で粉砕された

・ルーデルの機が見えてから1分後の路上で必ず車両が火を噴いて転がっていた

・彼の足元がぐにゃりとしたのでよく見てみると義足だった

・30回も撃墜された、というか30回落とされても生きている

赤軍のものなら何でも急降下爆撃し、車両も「戦艦も」あらゆるものを撃破した

・撃墜されてから友軍戦線にたどり着くまでの間に賞金狙いの赤軍兵士によく追い回された。

・ルーデルのキャリアの2/3が東部戦線。しかもスコアは戦車や艦艇ばかりが強調されるから実は「赤軍の歩兵・砲兵ほど危ない」

・「ドイツ空軍はもう危険なわけがない」といってベルリン戦に投入されようとしていたJS-3が10数両撃破された。

・「戦車でなければ襲われるわけがない」と走っていた軽装甲車両やトラックは800台以上破壊された

・ルーデルのいる基地から半径200kmはルーデルに撃破される確率が150%。一度車両を破壊され、徒歩で後退した陣地の火砲ごと撃破される確率が50%の意味

・東部戦線における出撃回数は2530回、その間、ルーデル機がソ連に与えた損害は10個師団相当。


・ベルリン突入直前なら大丈夫だろうと虎の子のJS-3を出したらいつもと変わらないルーデルに撃破された

・Ju-87の機影を発見後一分で重戦車が火の付いた燃料を流して撃破されていた

・足元がぐにゃりとしないので沼をさらってみたら戦車の残骸が敷き詰められていた

・停泊中の戦艦が襲撃され、気が付いたら大破着底させられていた

・高度数百ftで爆弾を投下、というか距離100m以内で機銃をぶっ放す

爆撃機編隊が襲撃され、爆撃機も「護衛の戦闘機も」一部撃墜された

・トラックから塹壕までの10mの間にルーデルに機銃掃射された

・装甲車の車列に合流すれば安全だろうと思ったら、車列の全車両がルーデルによって撃破済みだった

・全赤軍将兵の3/100がルーデル被撃破経験者、しかも急降下爆撃ならどんな兵器も破壊出来るという彼の信念から「強力で頑丈な兵器ほど危ない」

・「そんな奴いるわけがない」といって出撃して行った戦車兵が五年経っても骨の一つも戻ってこない

・「赤軍将兵でなければ襲われるわけがない」と雪原に出て行ったキツネが穴だらけの原型を止めない状態で発見された

・最近流行っているルーデルは「何が何でも出撃」総統に止められても片足が吹っ飛んでも赤軍狩りに出て行くから

・ベルリンモスクワ間の1620kmはルーデルの襲撃にあう確率が150%。一度撃破されて撤退中にまた襲撃される確率が50%の意味

・ルーデル中隊全体における赤軍襲撃による戦車撃破数は一日平均34輌、うち約17輌がルーデル一人のスコア



ハンス・ウルリッヒ・ルーデル - アンサイクロペディア ハンス・ウルリッヒ・ルーデル - アンサイクロペディア  - Nao_uの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - ハンス・ウルリッヒ・ルーデル - アンサイクロペディア  - Nao_uの日記 ハンス・ウルリッヒ・ルーデル - アンサイクロペディア  - Nao_uの日記 のブックマークコメント

総統閣下がハルトマンに勲章を授けるときに「君達やルーデルのような者が、もっと大勢居ればなぁ」等とぼやいていた。スコアから考えてもルーデル閣下やハルトマンは存在自体が戦略兵器です。本当にありがとうございました。というか、10人も居れば真面目に戦略に影響出るよ! 一人で300機とか500両だから、10人いれば3000から5000は固いね!