2006-03-29

[][][]ゲームはなかなか最後まで遊んでもらえないメディア ゲームはなかなか最後まで遊んでもらえないメディア - Nao_uの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - ゲームはなかなか最後まで遊んでもらえないメディア - Nao_uの日記 ゲームはなかなか最後まで遊んでもらえないメディア - Nao_uの日記 のブックマークコメント

もう1つだけ付け加えることがあるとすると、ゲームはなかなか最後まで遊んでもらえないメディアだということです。本や映画に比べて、最後までたどり着くのに時間がかかりますし、インタラクティブな娯楽ゆえに「難易度」や「作業」が発生して、途中であきらめてしまう人、途中で飽きてしまう人が出やすいんですね。

(中略)

ですから、ボクは1時間しか遊んでない人の意見も立派な意見だと受け止めるようにしています。自分の作ったゲームが最後まで遊ばれないという事はありますし、最後まで遊んでいない人の意見を読むこともあります。そういう人の意見は、もしかすると、世間様一般での「批評」の水準には達していないのかもしれませんが、最後まで遊ばなかったという事実がすでに1つの評価になりえる、と考えています。

もう、「激しく同意」以上に付け加えることのないくらいに的確な指摘であるように思う。

娯楽としての価値を考えるなら「その人がどこまで遊んで、どのくらい楽しめたのか」は重要な指標だし、製作者側から見れば実際に遊んでくれた人の意見に限らず、店頭でぱっと見たときの印象や、触れてないばかりか見てすらいない、「今回は~の理由で購入を見送りました」みたいな意見もまた、貴重な情報であるように思う。場合によっては「購入する理由」と同レベル以上に「購入しない理由」も重要だろうから。

また、たくさんの感想たちを純粋に統計データとして捉えるならば、「やりもせずにクソと決め付ける人の割合」とか「信者とアンチの比率」みたいなものでさえ、何らかの考察の対象にすることもできなくはない。そんなデータの取り扱いには十分な注意が必要だろうけど。

あと、以前にもちょっと書いた*1けれど、個人情報つきでネットワークに常時つながった機械が普及して、ゲームのプレイ時間や進行状況をその場でサーバに送信することで「典型的なハマりポイントの検出」とか「最後まで遊んでくれた人の割合」などの正確なデータが得られるようになったなら、ゲームの作り方もまた変わってくるのではないだろうか。個人的には正しいデータが得られて正確に判断・分析できるものであれば、情報は多くあればあるほどありがたい、と思っている。*2

*1:ゲームがどのように遊ばれているのかを知るために:http://game.g.hatena.ne.jp/Nao_u/20060219#p13

*2:「過剰な情報はそれを処理しきれない人間の能力をさらに落とす」みたいな台詞を思い出したりもするけど。出典は何だっけ?