2005-01-08

[][] 2005-01-08 - Nao_uの日記 を含むブックマーク 2005-01-08 - Nao_uの日記 のブックマークコメント

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  • "ものが壊れるわけ " マーク・E・エバハート

  • "GPU Gems 日本語版―リアルタイムグラフィックスプログラミングのテクニック、ヒント、トリック " Randima Fernando

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ものが壊れるわけ

ものが壊れるわけ

幼い頃から物が壊れることに興味を持ち、物性力学の研究の道を選んだ著者の経歴とともに研究した内容が説明されている半分エッセイのような本。

タイタニック号の沈没の原因やチャレンジャー号の爆発の原因について触れた後に、石器、青銅器、鉄器、錬金術から発展した冶金学・化学の発展の歴史や、破断・加工硬化・脆化などがどのような分子構造の変化によっておこるか、などがわかりやすく説明されている。

また、筆者の体験した1980年代以降の物性物理学の研究の流れや、アメリカでの研究機関の予算の獲得や研究成果の商業的な応用の過程など幅広い内容が語られていて、やや一貫性に欠ける内容に感じたがその分飽きることなく読み進める事ができた。

セクションごとに語る内容が大きく変わるため、面白く読めたかわりに全体として印象はやや散漫だったが、最後のセクションで語られている大学での新発見と企業による商品化の話にはちょっと引っかかるところがあった。

基礎科学で片がつくと、産業界が入ってきて新発見を商品化するのに必要な技術開発を行うのだと、広く信じられている。商品として成り立つものが科学の世界から出てこないとすれば、その発見には商業的価値がないか、その潜在能力を開放するには、さらに基礎研究が必要か、いずれかだと思われている。残念ながらこれは全くの誤りだ。

大学での研究成果を後から企業が商品化しようとするときに、多額の投資と企業内研究者の養成を行ってもすぐにそれが商品化できるわけではないのでかかるコストや期間に見合わない成果しか出ない場合が多く、いままでにこのような例で大成功したのは国家的・軍事的な必要に駆られて政府が本格的に投資した場合がほとんどである、とのことらしい。

著者独自の視点なので割り引いて考える必要はあるにしても、日本では技術立国と呼ばれながらもこのような研究が大学ではなく企業内で行われ、予算規模の違いや研究体制の違いから、成果も企業側から出てくることが多いような印象がある。産学の連携が進んでいるアメリカですらこのように感じているのであれば、日本でこのようなことを行うのはさらに難しいのではないか。

参考:

http://expo.nikkeibp.co.jp/innovation/column/column03.html

http://www.rbbtoday.com/column/gameint/20041006/index.html

以前に博士課程卒の後輩とゲーム業界における産学連携の可能性について話をしたことがあった。後輩の専門分野は基本的にかなりなんでもありな研究が行える面白そうな分野のようだったが、それでもこちらから予算を提示して研究してもらっていい結果が出そうな内容はあまり思いつくことができなかった。

複雑な計算が絡んだり、精密なシミュレーションを行うような分野であれば、企業では難しいことをやってもらえる可能性がありそうだったが、話が進むにつれて、こちらの商品開発サイクルから考えるとかなりの時間がかかるうえに、実用的に使うのが難しい、あまり現実的ではない成果しか出てこないのではないか、という印象が強くなっていった。

もちろんそのような条件はやり方や内容によって大きく変わるだろうけど、現状ではあまり魅力的な選択肢には思えなかった。

あと、少し長いけどもう一つ印象的だった部分の引用。

コンピュータが強力になるにつれて、「計算○○学」というのが生まれてきた。大学は、たとえば「計算物理学」「計算化学」のような授業を開くようになり、そのうちそれを専門にするものも出てくる。

時間が経つと、計算○○学に携わる人々は二つの集団に分かれていく。計算の方に関心を持つ人々はモデル屋になり、○○学のほうに関心のある人々はシミュレーション屋になるのである。

モデル屋とシミュレーション屋の違いは、科学者の世界の中でも一般には認識されていないが、モデル屋はコンピュータを使って「もし~したらどうなるか」という問いに答える。たとえば、原子が小さなボールベアリングのようにふるまうなら、どうなるか。この問いに答えるために、モデル屋はコンピュータを使って何億もの原子をまとめて仮想の素材にし、その特性を調べる。

対するシミュレーション屋の方は、この種の問題に関心を抱かない。本当の原子はボールベアリングのようにはふるまわないからだ。本物の原子同士の相互作用は非常に複合的である。シミュレーション屋はその相互作用をできる限り正確に処理するほうを選ぶ。そうすると、何個かの「本物」の原子からなる一個以上の分子以上の物を調べるのは実際的ではないことになるのだが。

グレッグ・イーガンのSF小説「順列都市」でも似たような話があったが、

なんとなく納得。個人的のはモデル屋の方が楽しそう。