■ [ゲーム][デザイン]「面白い」だとか「Fun」だとかは、使える道具ではない
http://d.hatena.ne.jp/ConquestArrow/20041216#1103200712
個人的なゲームにまつわるNGワードと言えば、「ゲーム性」「ユーザー」「面白さ」の3つである。基本的に安易にこれを使っている人は信用しないことにしているが、意外と開発者ですら良く使う。少なくとも前2つは開発者の使う言葉でないと思うのだが…。
個人的に色々考えた上で、「面白さ」という言葉は基本的にNGワードにすることにした。というのも、「面白い」とは結局、ある個人が特定のものに賛同しよい評価を付けた、ということの表明以外の何者でもないからである。「面白い」が面白いか否かという評価でしか語られないのも、個人によって評価軸が変わるのもそういう理由だからだ。これではこの「面白い」という言葉をきっかけにしてエンターテイメントを成立させることは出来ない。「面白い」ゲームを目指す事がさも当然のように言われているが、「面白さ」が個人の表明である以上、複数人でそれを目指すわけにはいかない。「これが面白いんだよ」を理解できるのはその発した本人のみなのだ。
面白い。
とりあえず、何をどうするにしても作ってる人自身が面白くないと思うものを作るわけには
いかない以上、どこかのレベルで自分の中の「面白い」という感覚を信じるしかない。
ものづくりのいちばん根っこのほうには、そんな制作者のワガママの押し付けという
側面もあるのではないかと思う。
もちろん、その「面白い」と思う感覚を最低限ゲームがターゲットとする人たちと共有し、
できることならさらにもっと多くの人とその「面白さ」を共有できるようにすり合わせて
いくようにすることが必要だろうけど。どうやるのかはさておき。
「ゲーム性」に関しては他に少し思うところがあるのでまた機会を改めて。
難しいことはよくわからないけど、最終的にはなにかを作る人間はただ方法論を語るの
ではなく、出来上がったモノ(「作品」なのか「商品」なのかわからないけど)で語り、
感じてもらうしかないのではないかと思う。
あと「ユーザー」と聞いて思い出したんだけど、学生の頃、ゲーム業界の人が来て
講演でこんなことを言ってた記憶が。
学生が安易に「ユーザー」とか「コンシューマー」みたいな単語を使ってはいけない。
どういう意図の発言だったのか、当時もわからなかったけど、いまでもやっぱりよくわからない。