2012-10-16

QTEの是非について QTEの是非について - Nao_uの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - QTEの是非について - Nao_uの日記 QTEの是非について - Nao_uの日記 のブックマークコメント

ニカイドウレンジ@R_Nikaido

QTEは「キャラとの一体感と緊張感を与える効果」があるので二利くらいはある。もちろんそのゲームが持つ本来のゲームシステムの方がその効果は高いけど。だから、QTEからストレスを完全に排除すれば、あってもいいかな、って存在にはなれると思う。

QTEのストレスは「毎回押すボタンが違うのやだ」「入力ミスがやだ」「ミスったときに巻き戻されるのやだ」あたりが主なので、ボタン固定で、QTEの前に予兆があって、成功時のメリットを増やして失敗時のデメリを減らす。それだけで十分良くなる。

あとQTEにも「操作感」ってあると思う。例えばGOWのあるQTEでは、ボタンを押した瞬間にドゴォって殴れる。連打すればしただけ殴れる。即座に反応する。その操作感が「キャラとの一体感」を生んでるんだ。「成功すると続きが観れるよ」ってだけじゃダメ。

ヘビーレインのQTEで素晴らしかったのが、例えばレバーを引く操作の際、スティックを倒す角度とレバーの角度が連動してたんだよね。おかげで操作感と一体感があってとても良かった。ヘビーレインはこの積み重ねで、キャラとプレイヤーを同化させることに成功してる。

GOWQTEは、「自分の意思でQTEを開始できる(=油断してて失敗がない)」「成功すると敵に大ダメージ&フルボッコ演出が爽快で、失敗しても何もデメリットがない(=メリット大&デメリット小)」だからよかった。GOWはCSアタック意外にQTEがない。

あとヘビーレインは「QTEが失敗か成功かで話が分岐する」っていう面白さがあったのでとてもよかった。それどころか「QTEに失敗してキャラが死んでも残りのキャラでおかまいなしにゲームが進む」っていう徹底っぷり。たしかゲームオーバーが存在しなかったと思う。

大昔、はじめてQTEが入ったゲームを作った後に「ムービーだと思ったら突然ゲームオーバーになるのが嫌」「毎回ボタンが変わるのが鬱陶しい」という感想を見るまで、それが問題だという事にまったく気づいてなかった。完全に慣れてしまって、それを知らずに遊ぶとどう感じるかがわからなくなってた

ボタンが毎回変わるのも当時は「見てから反応できるくらいの時間は設定されてるんだし、毎回同じではゲームとして面白くないよね」くらいに考えてしまってた。でも、こういうタイプの選択ミスって、QTEに限らず他の要素でも気づきにくいところでいろいろやらかしてしまってたんじゃないか、とも思う

「「QTEはクソ」がユーザーの総意だけど、じゃあどうすればいいのさ。」 「「QTEはクソ」がユーザーの総意だけど、じゃあどうすればいいのさ。」 - Nao_uの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 「「QTEはクソ」がユーザーの総意だけど、じゃあどうすればいいのさ。」 - Nao_uの日記 「「QTEはクソ」がユーザーの総意だけど、じゃあどうすればいいのさ。」 - Nao_uの日記 のブックマークコメント

ABA@abagames

QTEってどう思う?」に対して「サンダーストーム面白かったよね!」と満面の笑みで答えるおっさん

菊地麻比古@IDA_10

シェンムー』でQTEが提唱された当時はあくまでもクイックタイム「イベント」だったし俺もそんな印象だったんだけど、今の使われ方って広くなりすぎてここでもまたデカい主語問題が発生してる感じ。"Heavy Rain"はそういう操作系って認識でQTEって感覚はなかったなあ。

こりん@k0rin

QTEの有無に関係なく、カットシーンでプレイヤーキャラに自分が操作するよりもかっこいい動きをされるとちょっと冷めるかなあ。

Daisuke Amaya@amaya_pixel

QTEはプレイヤーじゃなくて表現者の為の代物だと思う。

バイオハザードの掴まれ時のレバガチャまで一括りにQTE扱いで批判されてるようにもみえたけど、あれはイベントQTEやCSアタックとはまた別の話として考えないと話がややこしくなりそう。下手に成功判定の表示を出したので余計に話がややこしくなってる気が

ニカイドウレンジ@R_Nikaido

QTEはクソ」ってのがユーザーの総意みたいだけども、「じゃあQTEやめて高度な演出が必要な場面は全部操作不可のデモにします」って言ったらそれも同じくらい叩くんだろう。QTEもデモも使わずに映画的演出を導入するにはどうしたらいいんだろう。それとも映画的演出自体いらね、って話?

難度で時間を稼ぐ事ができなくなった状況下で、長時間のプレイを単調にならずに値段相応の満足感を得てもらうために何かしらの変化を、と考えた時に映画的演出が一番わかりやすい手段だから、というのが現状なのかな。同様に評判が悪くなりやすい本編と違う操作のミニゲームとかと同じで

通常の操作系の範囲内でかっこいいアクションをやってる感があれば無理に演出する必要は減りそう。そんなゲームって何かあったかな?と記憶を辿ってみたらSinobiとかエイリアンソルジャーあたりは当時プレイ中の脳内ではそんな印象だったかもしれない。どっちも操作が難しすぎる類のゲームだけど

ワンダと巨像も、普通にプレイしてるだけですごくいい絵面が生まれる場面が多々あったような。あれは絶妙に調整されたカメラも寄与してそう。最近だとJourneyの砂を滑り降りるシーンもすごく気持ちよかった

Daisuke Amaya@amaya_pixel

プレイヤー自身が主役になっているか、プレイヤーに主人公になり切ってもらうかでプレイヤーに対するゲームの立場は変わる。QTEに発生する不快感はプレイヤーと主人公の乖離にあるんじゃないか。

掴まれ時のレバガチャで思い出したぜんぜん関係ない話だけど、格ゲーのレバガチャしたらダメージが増えたり振りほどけたりするタイプの掴み技って、どっかのタイミングで絶滅してたりするのかな?レベルの高いCPUに「ヨガ・・」ビシッ 「ヨガ・・」ビシッ って死ぬまで殴られたりするやつ