2010-09-29

島国大和】ゲームはいずれ全部オンラインゲームになる 【島国大和】ゲームはいずれ全部オンラインゲームになる - Nao_uの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 【島国大和】ゲームはいずれ全部オンラインゲームになる - Nao_uの日記 【島国大和】ゲームはいずれ全部オンラインゲームになる - Nao_uの日記 のブックマークコメント

さて,そうしたゲームの歴史を見ての通り,ゲームシーンというのは「ゲームでどう稼ぐか」によって変遷してきたし,これからもそうなると思うんだよね。稼げないゲームは消えて無くなる。誰もそれにお金を払わなければ,開発費も出ないので,そりゃそうだ。


コンシューマーゲームの開発者の一部が嫌悪感を感じるのは コンシューマーゲームの開発者の一部が嫌悪感を感じるのは - Nao_uの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - コンシューマーゲームの開発者の一部が嫌悪感を感じるのは - Nao_uの日記 コンシューマーゲームの開発者の一部が嫌悪感を感じるのは - Nao_uの日記 のブックマークコメント

コンシューマーゲームの開発者の一部が嫌悪感を感じるのは、ゲームデザインと課金誘導が不可分に結びついてしまう構造があるからなんだろうけど、ゲームデザインはそもそも商売(ビジネスモデル)と不可分なんだよね。

アーケードゲームの難易度設定だって、1プレイごとにコインを入れてもらう仕組みだから、ああなったわけで。


コンシューマーゲームゲームデザインが自由度が高かったのは、最初にお金を出してもらうモデルだったから。難易度設計が課金から自由になっていたのが大きい。

お金を最初に出してもらうから、対価に見合わないゲームが批判されたり、クソゲーなんて言葉も生まれたわけだけど。そのモデルが長らく続いて、開発者が慣れきってしまったってのはある。


制作者が課金の事を意識せず、「できる限り長く、楽しく遊んでもらうことに集中できる」という点で、パッケージビジネスは秀逸だった。

けれども、売れるゲームと面白いゲームの乖離が徐々に進んでいって、売るための努力とコストが巨大化してしまった。そして開発費が高騰して、売れなかった時のリスクも増大していった。


コンシューマーゲーム開発者のソーシャルゲームの課金に対する嫌悪感って、結局、ユーザーと制作者の”ビジネスモデル”に対する”慣れ”の問題にすぎないと思う。

50円で1プレイできるアーケードと、5000円出さなければ遊ぶことができないというコンシューマーと、500円出せば有利になるソーシャルゲームと、どれが正しいわけでも、どれかが拝金主義な訳でもない。

慣れの問題は確かにあると思うのだけど、今の段階ではそれが健全なかたちで進んでいるのか?という観点からはやや疑問符が付くのではないかと思う。

アーケード業界やコンシューマー業界と同じような形で、これから先の収益形態の軸の一つとしてこのようなビジネスモデルが続いていくことになりそう。でも、この先の長い期間市場として機能していくためには、みんながもうちょっと安心して楽しめる形態を模索していかないといけないのではないかな、とも思う。どこもそれどころではないし、過渡期だから仕方ないのかもしれないけど。