2010-09-12

漠然と語られる「ゲームの最先端は欧米」の中でわりと真実なのは 漠然と語られる「ゲームの最先端は欧米」の中でわりと真実なのは - Nao_uの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 漠然と語られる「ゲームの最先端は欧米」の中でわりと真実なのは - Nao_uの日記 漠然と語られる「ゲームの最先端は欧米」の中でわりと真実なのは - Nao_uの日記 のブックマークコメント

漠然と語られる「ゲームの最先端は欧米」の中でわりと真実なのは、「現実」と「レベルデザイン」のすりあわせをずっと昔から当たり前のようにしてきたこと。はじめて入ったビルとかで、"Wow, このビルの構造、中盤あたりのレベルにピッタシじゃん!(写メとりまくり)"みたいな。

俺もこの辺( http://bit.ly/9DV3oU )で当時味わった苦労を書いたけど、西海岸のスタジオでは「現実的な建造物、地形」で、ゲームを作るのが当たり前だと思ってる人が多くて、そのすりあわせに関しては、みんな若くても俺よりよっぽど経験があって感心したもんだった。

日本にいた頃、遊び第一のグレイボックスの制作手法がいまいちピンとこなかった(企画がアートに無茶振りすぎると思った)けど、こっちのスタジオで、素ポリでレベル作りつつも、設定だったりコンセプトアートだったりをつかって常に誰かが現実とのすりあわせをしてるのをみて納得できた。


なんだかいろいろと納得。

日本・海外のそれぞれのやり方に良い面と悪い面があったのだろうけど、そもそも根本的な部分に意識の違いみたいなものがあるのかな。

元々のやりたかったことに表現力が追いついてきた今時のゲームだと、自然にこういうことを考えながら作れる状況は、ゲームの舞台に説得力を持たせるためにはとても有効そう。

普通の人間が実在する武器を持って、人間にできる範囲の挙動で進行するゲームが主流だった、というのもそんな文化が根付いてきた理由の一つなのかも、とも思った。