2009-07-19

コンテンツプラットホームの未来 コンテンツプラットホームの未来 - Nao_uの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - コンテンツプラットホームの未来 - Nao_uの日記 コンテンツプラットホームの未来 - Nao_uの日記 のブックマークコメント

つまり逆にいえば色をつけたことによりユーザの吸引力を大幅に高めることができるのであれば、色をつけるという戦略は成立する可能性があるということになる。

ではなんで一般にはプラットホームには色をつけないほうがいいとされているのか。それは色をつけるということが、魅力的な色をプラットホームにつけるということがとても難しいからだ。それは結局プラットホーム自体をコンテンツにしていくということだからだ。プラットホームホルダーが同時にアーティストであることを目指すということだ。

ちなみに色をつけるということはターゲットとなるユーザを限定するとかいう単純なことをいっているわけではない。ターゲットとなるユーザに新しい世界観、新しいライフスタイルを提供するものでないといけない。女性誌の歴史をみても総合誌が衰退し、専門性の高い雑誌に主流がうつる過程においても、勝者になるのはターゲットの読者のニーズにただ迎合したものではなく、強い個性を持ち流行を自らつくり出すような雑誌だ。


ゲーム業界のプラットホーム変遷の過程でおこったことで注目すべきと思っている重要ポイントをあげてみる。

・ プラットホームの変化の前後でゲーム会社の勢力図が大きく変わることが多い。ついていけないゲーム会社は没落し、また、新興ゲーム会社が台頭するきっかけとなる。

・ プラットホームの正当進化は、コンテンツの高度化、複雑化、制作コストの高騰をもたらし、ユーザはコア化し、一般ユーザは離れていく傾向にある。

・ 上記の一般ユーザの離反は、ユーザ層の年齢層の垂直拡大(若年コアユーザが年をとるので)と平行して起こるのでわかりにくい。

・ プラットホームをリセットしようとしたwii/dsでの任天堂の試みはコンテンツの制作コストを下げるのに貢献したが、同時にサードパーティの多くがマーケットから取り残された。

・ プラットホームホルダーが事実上いない自由であるはずのPCゲーム市場の有力プレイヤーは、儲かるのでゲーム機市場にビジネスの軸足を移した。


ここで、プロのコンテンツクリエイターを目指すのであれば考えなければいけない最重要ポイントをいっておく。どうやって素人に勝つか?である。なにか、素人にはできないことでユーザにとっても決定的な差別化ポイントをみつけなければいけない。コンテンツをつくるのに投入する時間だったりお金だったり、特別なツールだったり、プロモーション手段だったりだ。センス?そんなのもっていて当たり前だし、素人にもセンスのあるやつなんかいくらでもいる。

素人と競争するからコンテンツにコストをかけられないという人がいるが、逆だ。素人と競争するからこそ、なんとかして有効なお金のかけかたを見つけないといけない。小作農のようなアフィサイトが一時流行り、手間のかからないサイトを大量生産して一時的に小銭を稼いだひとたちがいたが、その小銭すらだんだんと競合が増えてきて稼げなくなった。競合の多いコンテンツプラットホームで安易にコンテンツの低コスト競争をくりひろげると、同じ運命が待ち構えている。問題はどうやってコンテンツを安くつくるかではなく、どうやって(競争力があって)高いコンテンツをつくるかだ。


さて、強引にまとめる。

まあ、現実的に考えて、権利者団体が突然覚醒する可能性は高くはないので、コンテンツホルダーは、とりあえず自分たちだけでもプラットホームをどうやって握るかを考えたほうがいいだろう。

また、IT業界側は、コンテンツホルダーの協力を期待したり、強制しようとしたりするのはやめて、自分たちでコンテンツをつくることを考えた方がいい。その場合はフォーマットも自分たちでつくるのが結局一番安くつく。

そして、すべてのコンテンツはプラットホームと融合する時代がくる。



「町のパン屋さん」のような出版社 「町のパン屋さん」のような出版社 - Nao_uの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 「町のパン屋さん」のような出版社 - Nao_uの日記 「町のパン屋さん」のような出版社 - Nao_uの日記 のブックマークコメント

あるライフスタイルに密着した産業は、時代の変化に弱い。かつては栄華を極めた巨大産業でも、何かのきっかけで、一瞬のうちに瓦解してしまう。そうしたことは何回も繰り返されているはずだが、「その時」が来るまで多くの人間は気がつかない。気づいたとしても、「何とかなるだろう。自分が生きているうちは」と考えてしまう。

現在起こっていることは、マスコミを支えるシステムそのものの大激変であって、かつて60年代の貸本産業に起きたこととは規模が異なる。あのとき貸本産業に起きたことが、今や出版を飛び越えたマスコミ全体に起こっているといえる。これを「世界同時不況」のせいにしてしまうとおそらく実情を見誤るだろう。出版不況そのものは、90年代から囁かれていたことで、昨日今日はじまったわけではない。

おそらくインターネットを始めとしたメディア環境そのものの変化の結果が、今のマスコミ産業に起きているのだ。これは産業革命原水爆の発明に匹敵する不可逆的な歴史的変化なので、従来のシステムやパラダイムのことごとくは無効化してしまうのだと考えたほうがいいと思う。