2006-01-24

薬物の効果と常習性 薬物の効果と常習性 - Nao_uの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 薬物の効果と常習性 - Nao_uの日記 薬物の効果と常習性 - Nao_uの日記 のブックマークコメント

チョコレートってのは、カフェインたっぷりのカカオ豆に大量の砂糖をぶちこんで作る。カフェインってのはアップ系ドラッグ(覚醒剤のこと)の一種で、大脳皮質を中心に中枢神経系を興奮させ、脳幹網様体の賦活系を刺激することにより知覚が鋭敏となり精神機能が後進させるため、眠気・疲労感が除去される。脳血管を収縮させて、脳血液量を減少させもするんだけどな。アンフェタミンコカインもだいたい同じ作用がある。ドラッグの売人がいうだろ、「兄ちゃん、疲れがとれる薬あるんだけど」って。さて、カフェインは砂糖と一緒に摂取すると習慣化しやすい。コーラとかコーヒーもそうだな。あとチョコレートから最近、PEA(フェネルチアミン)という覚醒剤と分子構造の良く似た物質が検出された。これが特に高いチョコレートの依存性のカギらしいな。

 で、そのコーヒーだ。「カフェイン」って名前自体、コーヒーからのもんだが、コーヒーの薬理効果はただのカフェインよりはるかに強力で有害だ。まだよく分かってない成分とカフェインの相互作用があるらしい。コーヒーは世界中で規制の受けてないドラッグ(依存性薬物)だが、先進国ではコーヒーの銘柄と同じくらいの数の制酸剤のブランドがある。コーヒーは確実に胃をぼろぼろにするからだ。あと泌尿器系の疾患の原因にもなるし、神経-筋肉のバランスをくずして震えを生む原因にもなる。異常出産につながるという説もあるな。カフェイン依存の奴は、摂取をやめるとカフェイン禁断性頭痛に襲われる。カフェインにゃ身体的依存性があるんだ。精神的依存性はいうにおよばない。

 あらゆる薬がそうなんだが、その効き目は使用者のセット(期待、精神状態)とセッティング(使用の環境)に大きく依存する。おおざっぱにいって主体的原因と客体的原因だ。医療用の薬は、馬鹿な医者がヘマをやらないように、できるだけ薬力学的作用を限定し、投与量と薬理効果の比例関係を確立しようとするから「薬というのは成分と効果が単純な因果関係にある」ように思えるけど、そんなのむしろ例外的で、要するに嘘っぱちだ。例えばパーティで陽気さをもたらした量のアルコールが、ひとり部屋でうずくまって飲んでいる際にはひどい憂鬱をもたらすことがある。これは阿片でもヘロインでも、アンフェタミンでもコカインでもマリファナでもLSDでもPCP(エンジェルダスト)でもみんな同じだ。

 医療中にアヘン剤中毒になった者と、日常生活の難局を切り抜ける手段としてアヘン剤を求めて中毒になった者とは大きな違いがある。オピエート類は、苦痛や不快感から人々を解放し(アスピリンより強力な鎮痛剤)、時間が経つのを速め、使用者が一時的に現実から逃れられたような気にさせる。したがって多くの場合、アヘン剤中毒者は非生産的であり、またアヘン剤は非合法品であるのでその入手には多額の金を費やさねばならないが、その金の入手のため、中毒者は非社会的行動を採らざるを得ない。事実、アヘンを合法的に常習できる者(それだけの資金力・コネ・医療上の必要等の理由のある者)は、中毒者の典型症状を示すことが少ないし、例え中毒者となっても、職務や社会的責任を果たし外面的にはノーマルと思われている。大げさにいえば階級差がある。そういえば「宗教は国のアヘンである」とかいった奴がいたっけ。


心理のチューニングと向精神物質 心理のチューニングと向精神物質 - Nao_uの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 心理のチューニングと向精神物質 - Nao_uの日記 心理のチューニングと向精神物質 - Nao_uの日記 のブックマークコメント

▼ ふと、心理のチューニングプロザックの関係などについて考える。

怒りにせよ、悲しみにせよ、劣等感や憎しみのようなものでさえ、全ての感情には適応的な意味があって存在している。しかし、人によって陽気な人もいれば陰気な人もいるように感情の配合比は異なっている。しかし人間全体を見ればおそらく最適値の周りにチューニングされているのだろう。

しかし、そのチューニングは数万年前の人間の生活にあわせてできているのだろう。現代に至って社会は巨大化し複雑な産業技術が成立し、安全で安楽な生活が可能になっている。この社会の変化によってチューニングの最適点は変わっているはずである。その現代に合わなくなってしまった部分とはどこだろうという疑問を前から考えていた。

考えるに、それを見つけるヒントは、恒常的に使用されることが当たり前になった向精神物質だろう。つまり酒、タバコ、そしてもっとも最近でてきて最も目立つプロザックである。それぞれ違いはあるが、共通している点が一つある。不安の抑制である。

要するに不安を抑制してもよいということが意味しているのは、現代社会では身体に危害が加わるような実体のある危険がほとんど無くなったという事だろう。一方、抑制したくなると言うことが意味しているのは、不安の源泉は身の回りに溢れていると言うことだ。もうそれはズバリ、広義の対人関係以外にはあり得ないわな。(「広義の対人関係」とは友人の関係から、会社の命令、社会の抑圧までなんでも含む。)

対人関係はどちらかと言うと悩まないバカの方が上手にやれる傾向があるわけで、対人関係で悩む私のような人はつまり、進化の置き土産である不安傾向の為に不適応と。

最後の晩餐 最後の晩餐 - Nao_uの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 最後の晩餐 - Nao_uの日記 最後の晩餐 - Nao_uの日記 のブックマークコメント

今日は夜9時半にやってくるバグレポートを処理した後、会社の先輩たちと会社の近所にある韓国料理屋に焼肉を食べに行った。昨日で仕事が一区切りし、今後はもうあまり時間もないだろうから今のうちに美味しいものでも食べに行こう、という話だったのだけどなんだかんだ今日も一日慌しく、今日やる予定のいくつかの仕事は明日に持ち越しになってしまった。

久々のまともな夕食はとても美味しかった。あと、自分はお酒が飲めないのだけど飲んでも仕事に差し障りがないのならこれはこれで便利なものなのかもしれない、と周りを見ていて思った。