2005-05-19

どうでもいいこと・続き どうでもいいこと・続き - Nao_uの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - どうでもいいこと・続き - Nao_uの日記 どうでもいいこと・続き - Nao_uの日記 のブックマークコメント

ある18世紀のヨーロッパの音楽家兼数学者が、曲に使用される音のすべての組み合わせを計算し、12音階を前提とする限りメロディーの多様性に限界があることを示し、これを悲観して自殺した、というような話を読んだことがある。現在のコンピュータ技術を持ってすれば、すべてのメロディーの組あわせを機械的に生成させて、将来登場する可能性のあるすべての曲の著作権をあらかじめ取得することが可能になっている。これは定型詩である俳句でも同様である。日本語の50音すべてから17文字選んで作り出せるあらゆる文字列を生成しておけば、あなたはこれから100年近く俳句というジャンルを独占することができる。

http://orion.mt.tama.hosei.ac.jp/hideaki/similarity.htm

著作権における類似性』より


デジタルデータで「絵を描く」という行為が、理屈の上では有限の集合からの選択であるにもかかわらずわれわれ人間にとって創造的に感じられるのは、集合があまりに大きすぎてほぼ無限に近く感じられるほどの大きさをもっているからなんだろう。

その集合のほとんどの部分は情報としてみるとノイズに等しく、膨大な集合の中でも「絵」として認識できるものはそのなかのごくごくわずかな領域でしかない。しかし、画家のほとんどはその集合の中からノイズではなく絵として認識できるものを選ぶことができる。無限に見えるほど大きな集合から意味のある一点(もしくはその近くの特定の領域)を拾い出すために、どこから探索を始めてどちらに向かっていけば求める物を取り出せるか、という何らかのアルゴリズムをもっているのだろう。遺伝的アルゴリズムやバイオモルフなども、そのような無尽蔵な空間を効率的に探索する方法の一つなのかもしれない。

http://www2d.biglobe.ne.jp/~aquila/alife/a3/a3.html

ゲームを作る人間も、半ば無限に見えるほど大きいが有限であるゲーム集合の中からゲームとして成立していて面白いと思える方向を効率的に目指すなんらかのアルゴリズムをもっているのだろう。その過程は目に見える選択や暗黙の選択の連続で、どちらに進めばより良いものが見つかるのかということに関しては、ただ一つの間違いのない答えなどはどこにもありはしない(そもそも「より良い」の基準って何だ?)。探索者の持つ「ゲームデザイン論」は、ゲームの集合の探索を進めるときの指針としてゲームをより面白くするためにどのような手助けになれるのだろうか?

なんとなく思いつくままに書いただけなので、特にオチや結論はない。