■ [開発][デザイン]なぜプログラムを組むのか?
昔から市販のゲームや人の作ったゲームを見ては「これってどんなプログラムで動いてるんだろう?」と不思議に思い、いろいろ考えたり調べたりしながらできるだけ自分自身の技術で再現できるよう、日々精進してきたつもりでした。「こんなゲームを作りたい」と思いついたときに、ハードウェアの限界で実現できないのならともかく、自分のプログラム技術の不足で実現できないときには、とても悔しく思います。しかし、僕にとってのプログラムとはあくまでゲームを作るための手段であり、目的そのものではなかったはずでした。
3DCG技法だとかデザインパターンだとか、ゲームに直接関係のない複雑な周辺技術について考えているとき、ふとその単純な事実を忘れてしまい「プログラムを組むこと」そのものが目的化してしまいそうになることがあります。
僕はゲームが作りたかったんだ。プログラムがしたかったのではなく。
遥か昔、僕とPixel君が出会って間もない頃、「ゲームの作り方を教えて欲しい」というPixel君の要望にこたえて自作の簡単なグラフックエディタとC言語で書かれたキャラクタ表示ライブラリを渡し、ごくごく基本的なゲームの流れの組み立て方を伝えたことがありました。Pixel君はプログラミングは初めてだったにもかかわらず真綿が水を吸うようにゲームの組み方を覚え、3日後にはキャラクタがアニメーションしながら背景のブロックの中を飛び回る事ができるようになってました。今にして思えば、これが洞窟物語の原点だったのかもしれません。
Pixel君にとって「自分の作った音楽を聴いてもらいたい」というのがゲームを作るモチベーションの一つなのだそうです。自ら絵を書き、音楽を作り、自分の中で作り上げた世界を他人にも見える形で動かし、体験してもらうための手段としてのプログラミング。あの頃から一貫してPixel君にとってのプログラミングは、そのような世界を作るための手段であり続けているようです。
いろいろあった後に、僕は仕事としてゲームを作ることを選び、Pixel君は一人でゲームを作る道を選びました。お互いに立場は違えども、あのときの気持ちは変わっていないように思います。願わくば、今後もずっとそうであるといいな、と思っています。