2004-07-17

ジブリの仕事のやりかた。宮崎駿高畑勲大塚康生の好奇心。 ジブリの仕事のやりかた。宮崎駿・高畑勲・大塚康生の好奇心。 - Nao_uの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - ジブリの仕事のやりかた。宮崎駿・高畑勲・大塚康生の好奇心。 - Nao_uの日記 ジブリの仕事のやりかた。宮崎駿・高畑勲・大塚康生の好奇心。 - Nao_uの日記 のブックマークコメント

http://www.1101.com/ghibli/index.html

ソフトを生みだす方法(作品を生む秘訣)って何だろう?

ソフトを仕入れる方法(アイデアの源泉)って何だろう?

職人を育てる方法(後継者を育てる技術)って何だろう?

……企画や制作に関わる人なら、誰でも知りたいことを、

日本的な職人集団として成長したスタジオジブリに学ぶ!

何が違うかというと、宮崎駿という人は、

本来は、長編映画を、

ひとりでぜんぶ作りたいんですね。

宮さんの場合には、

全体の構成だけではなくて、

どんなに細かい部分に至るまで、

ほんとはすべて、ひとりで作りたいんです。

ところがアメリカの制作者ならば

「長編というのはひとりでは作れない」

と非常に合理的に考えますよね。

ですから、アメリカでは、

まずはテーマを、主要な人たちで話しあうんです。


Half-lifeにおける、リーダーを置かないミーティング駆動型の製作プロセス Half-lifeにおける、リーダーを置かないミーティング駆動型の製作プロセス - Nao_uの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - Half-lifeにおける、リーダーを置かないミーティング駆動型の製作プロセス - Nao_uの日記 Half-lifeにおける、リーダーを置かないミーティング駆動型の製作プロセス - Nao_uの日記 のブックマークコメント

http://www.radiumsoftware.com/0307.html#030715

このように極端な「ミーティング駆動型」の制作手法を用いることになったそもそもの要因は,彼らが望むところの「ゲームデザイナ」というべき人材を見つけられなかったことにあるようだ。

プロジェクトを始めてから11ヶ月もの間,我々は「ゲームデザイナ」を探し回っていた。

山ほどの履歴書に目を通し,多くの有望な応募者と面接を行ったものの,我々の望む能力を

備えた人材はついぞ見つけられなかった。我々は神のような「ゲームデザイナ」を真面目に

欲していたのだ。

そして最終的には,我々が理想としているような人材は実在しないのだという結論に達した。

その代わりとして我々は,セクションを越えた人材の力を結集させることによって,

我々自身の理想を作り上げることにした。これこそ,我々が "Cabal" と呼んでいるものだ。

結局,ゲームデザインを専門に行う「ゲームデザイナ」というような役割は立てることなく,実際にコンテントを作成する人員のみで実質的な制作作業を進めることにしたそうだ。30人ほどの人員を抱える中規模の制作チームにおいて,このような制作方針が採られることは,かなり珍しいケースなのではないかと思う。




メタルギア2の製作プロセス メタルギア2の製作プロセス - Nao_uの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - メタルギア2の製作プロセス - Nao_uの日記 メタルギア2の製作プロセス - Nao_uの日記 のブックマークコメント

http://www.radiumsoftware.com/0312.html#031209

また同時に,プログラマがディレクターに対して寄せている信頼に関しても,とても強いものを感じる。それがどんなに突拍子の無いアイデアであっても決して無下にせずに,丹念にその欠片を拾い集めて,少しでもゲームに反映させて行こうとする真摯な態度をうかがうことができる。

「あの人は本当に面白い人なんですよ。」

「昨年の夏のある日にですね,僕のところに来て,こう言ったんです。『グラビア雑誌をさ,床に置いとけるようにしようよ。それで,兵士がそこに近寄ると,雑誌を拾い上げて「うほっ!」とか言って反応するわけ。』」

このフィーチャーは,単に滑稽であるというだけでなく,ゲームプレイを広げる可能性を持っている。警備兵を攪乱するための新たな手段を提供するわけだ。

「このフィーチャーを仕込むに3日かかったんですけど,それだけの価値はあったと考えています。」(植原氏)

こうした地道な努力の数々が,リッチなゲーム内容を生み出す原動力となったのだろうと思う。

50人を超えるような大規模の集団においてセクショナリズムの発生を防ぐためには,絶対的な信頼を置くことのできるリーダーの存在が欠かせないものであると感じられる。氏等は,このような大規模チーム運営の困難さを語りながらも,今のところはその構造を破綻させずに保つことができているように思える。その観点が,今後の制作においてどのように変化することになるだろうかと考えると,なかなか興味の尽かないことであると思う。



クリエイティビティと才能 クリエイティビティと才能 - Nao_uの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - クリエイティビティと才能 - Nao_uの日記 クリエイティビティと才能 - Nao_uの日記 のブックマークコメント

本当に素晴らしい作品のほとんどは、強く表現したいことを持った一人の人間の才能によって

形作られているように思う。

しかし、一人でそれを形にすることは現実的には不可能なので、実際の製作では他の

スタッフの手を借りることになる。

もちろん、そのときの他のスタッフが優秀であればあるほど、優れた作品になる可能性は高い。

本当に素晴らしい作品は、周りを固めるスタッフも一流であることがほとんどだろう。

仮に、一本の素晴らしい作品を作ったチームがリーダー1人とそれ以外のスタッフの2チームに分かれ、

リーダー側のチームは他から平均的な能力のメンバを新たに加え、

残りのスタッフで構成されたチームはそのメンバの中から新たなリーダーを選出して、

それぞれ次回作の製作に当たったとする。

このような場合、一般的にどちらのチームがいいものを創る可能性が高いか?

あいまいで無茶な仮定ではあるが、非常にレベルの高いクリエイティブな局面において、

一個人の才能の差は想像以上に大きいのではないだろうか?

「そこそこ優秀な人」の集団では太刀打ちできない、合議制では不可能な何かが。

それとも、そういった一個人の才能に大きく寄りかかる製作スタイルは危険なのだろうか?